ざっき(日記という噂も...)
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2016/04/01(金) 地震
午前中の地震。
緊急地震速報でスマホから大きな警告音が鳴って「三重県南部で地震!」と聞こえたとき,「すわ,来た!」と身構えた。15〜20秒ほど経ってからゆらゆらと東西に小さく揺れはじめ,この程度なら心配ないと思ってホッとした。
それにしても本当にドキドキした。地球科学をやっているが,それでも南海トラフ沿いの地震はこわい。「その時」には今日の地震の1000倍程度かそれ以上のエネルギーがドカーンと放たれる。
窓の外を見ると,生協前で学生たちが何事もなかったかのようにワーワーキャーキャーと騒いでいた。彼ら/彼女らもスマホの警告音を聞いただろうが何を思っただろう。知識がないと「え,何?」と思うだけか。。。
2016/03/18(金) 学生
地学分野の1年生として入学した直後から「他大学の再受験をしたい」と言って休学していた学生がいて,その学生が先日私(1学年担当)のところにきて「△△大学の理工系に合格したので退学したい」と言ってきた。もちろんとめる理由がないので書類にサインした。私なりに激励したつもりである。
この学生から詳細は聞いていないが,これまで何人もの学生と会話してきた内容から察すると,本当は他大学・他学部に進みたかったのに,家庭の事情(親からの圧力,私学不可など)や学問とは無関係の他の理由(親に迷惑をかけたくない,など)で仕方なく地元の愛教大に入学することになった,という学生が一定数いるように思われる。特に愛知は地元志向が非常に強い土地。もちろん,こういう学生は愛知に限らずどこの大学にもいると思う。
地学はもう少し複雑である。出願時に第1希望や第2希望にした分野(化学,物理,生物)ではなく,第3希望やひどい場合は第4希望の地学分野で合格し,入学してきた学生が毎年半数以上にのぼる。入学したということは入学手続きという「踏み絵」を自分で踏んだ,だから地学分野でやっていこうと覚悟を決めているはずだと思いたいところだが,実はそうでもないようだ。ここでも学問とは無関係の理由や家庭の事情で仕方なく第3希望や第4希望の「本当は進みたいと思っていない」地学分野で入学することにした,という学生がかなりいるようだ。
教育学部という事情もあるだろう。化学分野だろうが地学分野だろうが,最終的に彼ら/彼女らの多くが目指しているのは小学校や中学校の教師である。教員免許は化学や地学ではなく教科(理科)なので,どの分野であろうが最終的には免許を取って教師になれればいい,という考えもあるのだろう。
入口から物化生地のそれぞれ狭い分野で合格させるという方法が問題だと個人的には思っている。入口は理科一括にして,2年または3年に進学するときに学生の希望を考慮して分野に分けるほうがよい。機会があるたびにそれを主張しているが,理科の中ではなかなか理解してもらえない。
高校で科目「地学基礎」を履修してきた学生は理科の中にはほとんどいない。地学に関する知識は中学生レベルである。そういう学生に地球を科学するおもしろさを伝えたくて頑張って授業をしているつもりだが,不本意のまま入ってきた学生にはなかなか伝わらないと感じている。もちろん私の力不足もあるだろうが。。。 理科一括にして,低学年時にさまざまな分野の授業を受けたり教員と話をしたりして学生が分野を決めるやり方にすれば,状況はだいぶ違ってくるに違いない。
話を最初に戻すと,△△大学への入学が決まった学生がどうして去年愛教大に入学したのか,その本当の理由はわからない。教員志望で愛教大に夢と希望を持って入学したが,入ってみたら自分の想像と大きく違って幻滅した,ということかもしれない。そういう学生は△△大学も入ってみたら自分の想像と大きく違った,になるかも。
愛教大は今後「教員就職率85%を確保」を目標にするという。文科省に首根っこを掴まれているのでそういう無茶な?目標を設定したのだろうが,学生をとにかく学校教員にすればいい,学校教員にするための教育に全力を傾ける,という気分が今以上に強まる予感がする。そういう気分が強まっても,学生が自分の興味関心や将来のことについて自由に考えることを邪魔しない,学生の意思と判断を尊重することを決して忘れてはならない。
2016/03/11(金) 学生
いつの時代も学生は自分中心。自分の都合最優先で「先生はいつでもなんとかしてくれる」と思っているのだろう。
ケッ! 対応しますよ。かわいい学生のためならね(笑)
2016/03/10(木) 改革?
国全体でも,各大学レベルでも,改革という名の不毛な作業と情報戦でみんな精神的に疲弊してきていると感じる。末端には議論の詳細が全く見えず(そもそも議論しているかも不明),突然「こうなった」とトップダウンに通知される。下々の人間が気付いて疑義を唱えても遅い。
政治的無関心を装い,自分の研究・教育に没頭しようとしても,不安と不満を忘れることができず,どこか頭の片隅にあって,それがボディーブローのように効いてくるようだ。その結果,以前(国立大の場合は法人化前)に比べて生産性が徐々に落ちる。大学では,地方や小規模校ほどその影響が大きいと思う。総じて,国全体の研究アクティビティの低迷(例の豊田レポート)の原因の一つになっているように思う。
2016/01/18(月) センター試験
センター試験、地学基礎の受験者数は物理基礎の受験者数の3倍以上(昨年のデータ)に達するのに、中日新聞の誌面には物理基礎が掲載されて地学基礎は掲載されていない。。。
少しアクションを起こしてみたいと思う。
2016/01/11(月) 映像の世紀
今日は正月に撮りだめしたNスペ再放送「映像の世紀」デジタルリマスター版をじっくり見て、一人で唸っていた。傑作だと思う。学生時代に断片的に見た記憶があるが、知識が増えた今見ると、やはり感じ方が違う。
2016/01/09(土) 科学館
今日午前は他の先生の実習授業(学部1年)のお手伝いで蒲郡市の「生命の海科学館」へ。山中館長のご指導による隕石サンプルの研磨・観察や展示物観察など、短い時間だったが充実した実習ができた。
この科学館はそれほど大きくないが展示物のクオリティが非常に高く、オススメ。
2016/01/04(月) 温泉
近鉄富吉駅の駅前にある富吉温泉に久々に行った.この施設,ちょうど1年前に「いづみの湯」という名でリニューアルオープンした.かつては「テルマ55」という日帰り温泉施設だったが,数年前になぜか閉館.しばらくしてから施設名が変わって現在のようになった.リニューアルと言っても設備的に目新しいものはなく,ほとんどテルマ55のまま.
この温泉,湯に力があって私は好き.尾張温泉郷(濃尾平野南西部の温泉群を私が勝手に呼んでいる名称)で最強なのはゴールデンランド木曽岬温泉,その次に富吉温泉かな... 長島温泉や尾張温泉もなかなか.永和温泉の異次元ワールドも温泉好きにはたまらない.永和温泉はコアな温泉好きなら鼻血が出るほど興奮すること間違いなし! そのうち紹介しよう.
10年前に書いた富吉温泉(当時,テルマ55)のメモは...
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近鉄富吉駅の近く,国道1号線の富吉交差点にある日帰り入浴施設.地域住民の温泉銭湯.内湯には円形湯船が3つ,だんご3兄弟(死語?)のように配置される.そのうち最も大きな湯船は激熱で,恐らく源泉そのままかけ流し.熱すぎて皮膚が真っ赤になる.薄黄緑色,透明,薄塩味,無臭.源泉は約1500 mg/kgで50.5℃.なかなか良い湯.よく温まる湯でトド多い.他の2つの湯船は比較的温く,加水されているかも.露天風呂は風情なし,こちらも高温で恐らく源泉100%かけ流し.打たせ湯,サウナもある.なぜか刺青の人が多い.
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2015/12/20(日) 名前
読めない名前や読ませる名前が社会問題になってから久しい.今では大学の学生名簿にひらがな併記が当たり前.ひらがなが書かれていないと学生の名前を呼べない… 私よく間違えます.でも,決して私のせいではない(苦笑).小中高の教師はもっと大変だろう.
最近の名付けの記事を見てびっくりした.「希星」は「きてぃ」,「愛翔」は「らぶは」だそうだ.キラキラネーム第一位の「皇帝」はさすがに親の○○が壊れているとしか思えない.「しいざあ」と読ませるらしい.連想ゲームか!(笑) まあ,他人事だと思って笑って見るだけなら面白い話題だ.
男子の名前人気ランキング上位に「碧海」がある.これは何と読むのだろう? 愛知県三河地方に住んでいる私には「へきかい」としか読めない.そう,碧海台地や碧海面,碧海信用金庫の「へきかい」.しかし,これは「あおい」や「あおと」,「おうがすかい」(爆)などと読ませるらしい.うーん...
2015/12/13(日) ボツワナ
ボツワナに赴任している卒業生からマラウイのコーヒーをもらった。酸味のきいた独特のコクのあるコーヒー。おいしい。
南アフリカの赤ワイン、何だかよくわからないジャーキーも。アフリカ南部の味を楽しんでいる。
来年はケープタウンでIGCがある。楽しみ!
2015/12/10(木) スタンプ
クリスマス抽選会応募のためのスタンプ集め.大学生協の恒例イベント.
買い物や食事で500円利用するとスタンプが1つもらえて,4つ集めると応募できる仕組み.このイベントで一つとても気に入らないのは,500円だとスタンプをゲットできるが490円だとゲットできないこと.499円でも貰えない.1円の違いで天地ほどの差! 生協に詳しい学生にこの文句を言ったら,全然相手にしてもらえませんでした...
今日の昼食,味噌ラーメン大盛りとライスSだけだと500円に届かないので,熟考の末,きんぴらごぼうの小鉢を1つ追加して530円にした.スタンプ1つゲット! しかし生協の戦略にまんまとはまっているようで何だかくやしいのである.
書いていてアホらしくなってきたが… ここまで書いたので投稿します.
2015/12/01(火) 利用?
大学内にある店の宣伝で「焼き立てパンをご利用ください」という表現を見た.「お召し上がりください」や「ご賞味ください」,「ぜひお買い求めください」のほうが自然な感じがするが…
それとも本当に「利用」してほしいのかな? 何に?
2015/10/28(水) フィールド
今週はフィールド週間.学生の卒論や修論にせず,昨年から一人でマッピング,サンプリング,磁気測定などをこつこつと行っている.すべて一人だとかなりの重労働になる(重い...).でも,やはり楽しいね.学生のような気分.
今日は気温が上昇し,日中は汗ばむくらいだったが,さすがに川の水は冷たくなってきて,地下足袋での調査(地質調査では川をじゃぶじゃぶ歩きます)が辛くなってきた.いちおう長靴も持ってきているが,長靴だと川歩き・沢登りが制限されてしまうので,寒さに耐えられるギリギリまで地下足袋で頑張る!
2015/10/24(土) 知の探究
愛知県教育委員会が毎年実施している,あいち理数教育推進事業「知の探究講座」.今日は約30名の高校1,2年生に「身のまわりの大地の成り立ちを探る」というタイトルで地質学の神髄に迫ってもった(大げさ).午前中講義と実験,午後は巡検で,疲労でぐったり.しかし鋭い質問がぽんぽん飛び出したので,それなりに刺激を与えることができたのだろうと勝手に思っている.
こういうのを思い上がり,またはうぬぼれと言う(爆)
質問がぽんぽん出たのは,単に説明不足だったからかもしれない...
2015/09/23(水) 米国学生巡検
今回の米国巡検,最後の観察地はDeath Valley National
Park。9月に訪問するのは初めて。酷暑を覚悟していたが,予想通りのすごい暑さ! 暑いためか,それとも信州大グループが先に帰国して気が緩んだためか,ちょっとだらけた学生もいたが,地球上にはこのような地形・地質とそれに関連した特異な環境があることを知ってもらえれば大成功。
2015/09/22(火) 米国学生巡検
グランドキャニオン2日目。自由行動時間を多く取って,Bright
Angel Trailでの地質観察とシャトルバスを駆使しての展望ポイント巡りを行った。学生もだんだんと自信がついてきたようで,私がいなくても自分たちで行動できるようになってきた。
今夜はラスベガスのギラギラのカジノホテルに宿泊! 明日も巡検なので夜遊びはなし。
2015/09/18(金) 米国学生巡検
今日はニューメキシコ州のGallupからスタートして,volcanic
neckとradial
dikesで知られるShip
Rock volcanicsを観察,その後コロラドに入ってMesa Verde NPで白亜紀層とAD1200頃の先住民遺跡を観察した。いずれも9年ぶりの再訪。
天気は最高! 気分も最高! と言いたいところだが,私は引率の疲れが少したまってきた。。。 今夜しっかり睡眠をとって明日のトレッキングに備えよう。おやすみなさい。
2015/09/17(木) 米国学生巡検
巡検初日。今日はMeteor CraterとPetrified
Forest National Parkをじっくり観察した。
Meteor Craterはfee waiver申請時に料金が示されなかったので,それなりの出費を覚悟していが,現地に着いて話してみたら何と無料で入場できることに! ありがとうございます! ここは通常料金が高いので本当に助かった。はじめて見る「the best
preserved impact crater in the world」に学生たちは感動していたようだ。地形だけでなく,インパクトの爆発でめくれ上がった地層の観察も。
Petrified Forest National Park,今回は南から北上するコースにした。ここもfee
waiverを受け入れてもらえて無料だった! 巨大珪化木化石群とそれを含むChinle
Formation(チンリ層,三畳系)を詳しく観察した。樹皮や年輪の模様をよく残して珪化した約2億2500万年前の巨木群に,やはり学生たちは感動していた。あちこちの観察ポイントで感動しすぎて,最後は疲れた様子。
外国旅行で学生たちの最大の関門は食事。英語がよくわからないし,メニューを見てもどんな料理なのかよくわからない。「Let’s
try!」ということで私は何も言わずに楽しく見ていた。案の定(?)ある学生が激辛で不幸な目に。これもいい経験。
2015/09/04(金) 〜させていただく
表現「〜させていただく」の氾濫がひどい。私,この謙譲表現が大嫌い。
学生の皆さん,「受講させていただきたい」や「参加させていただきたい」は「受講したい」,「参加したい」でいいんだよ。私がみんなに「受講させてやる」「参加させてやる」と言っているわけではないよね(むしろ,受けてくれて嬉しいよ!)。大学で授業を受けるのは学生なら当然の権利だ。受講や参加はみんなの意思にもとづいて自由にすればいいんだよ。
卒業生のみなさんも,この変な謙譲表現を乱用していませんか?
「君にこの仕事を任せたいと思うんだが…」
「え,私でいいんですか?」
「ああ,君にやってほしい」
「わかりました,やらせていただきます♡」
のような場面ならわかる。
また,夫婦ゲンカして,連れ合いが「実家に帰らせていただきます!!」というのも正しい用法。怖
2015/08/17(月) 米国学生巡検
9月に米国西部で学生巡検を予定している。学生の費用負担を少しでも抑えるために,教育活動ということで国立公園や州立公園の入場料の免除・減免(fee
waiver)申請をしている。
比較的簡単な申請で受理される公園がある一方で,「授業との関連」や「この公園のリソースを生かして何を学ばせるか」などを長々と書かなければならない公園もある。面倒だが,とりあえず何かガツガツ書けば通ると信じて,これも経験のうちと思いながらパソコンをパタパタ打っている。
国立公園の入場料はそれほど高くないので申請が通らなくてもあまり痛くないのだが,問題は私設公園や先住民居住地の公園。前者は例えばMeteor
Crater,後者はMonument
Valley Navajo Tribal Park。これらの入場料は高い! Monument Valleyは昨年だったか一昨年だったか,一気に大幅値上げされて驚いた。これらのwaiverはぜひゲットしたい。
Waiverをゲットして喜ぶだけでなく,免除・減免してもらえるのだから学生にはその分しっかり観察して,大自然から多くのものを得てほしい。
2015/08/15(土) 尾瀬
福島県南会津の桧枝岐側から尾瀬に行った。日帰り。小学生時代に一度訪れて以来、30年以上経ての再訪。
とても気持ちのよい湿原散策を楽んだ。ここは素晴らしいところだ。次回は泊りがけで尾瀬ヶ原に足を伸ばしたい。
帰りは桧枝岐村の「燧の湯」という温泉に立ち寄り。硫黄泉のよい湯。
2015/08/08(土) ひらめき☆ときめきサイエンス
今日は学振の「ひらめき☆ときめきサイエンス:地層と化石を調べてみよう!」の1日目。25名の小中学生が粒度板作成,地層観察,化石採取などを体験した。酷暑のなか,子どもたちはよく頑張った! サメの歯の化石を見つけた子はテンション最高! 将来の地質学研究者を一人育てた (^^)
このイベント,おかげさまで毎年大好評で(今年で7年目),研究室の恒例行事になっている。露頭での学生の説明はヒヤヒヤものだったが,学生にはいい経験になったはず。教わる立場から伝える立場に変わるといろいろ発見が多いはず。
2015/07/15(水) アンケート
この時期,学生向けのアンケート調査が集中する。4年生は特に多くて,学生生活実態調査(生活実態って…),大学生調査,進路関係(教員採用試験受験状況を含む)...など,全部でいくつあるのか私も正確に把握できないほど。
これだけアンケートが集中すると,私が回答者なら嫌になってテキトーに対応してしまいそうだ。大きなアンケートを行うときに小さなアンケートも合わせて行う相乗り(抱き合わせ)作戦の是非を,学内為政者や事務方はよく考えたほうがいいと思う。
それにしても,多くの事務職員とほとんどすべての教員を巻き込んで紙で調査を行うのはあまりに前近代的。アンケートにかかわる作業で,全学的にどれほどのコストと時間を浪費しているのだろう? ネットを使えば簡単に済むようなアンケートも多いと思う。
2015/07/13(月) 地学教育
私の大学では小中高での教諭経験のある方を教員として採用する傾向が強まってきている。そのため,私のように教員免許状すら持っていない専門○○の居場所は年々狭まりつつある。
そんな私の自己防衛策の一つとして,日本地質学会や米国地球物理学連合(AGU)のような専門学会だけでなく教育系学会の会員にもなり,ときどき学術大会にも参加して「教育にも力を入れてますよ!」という姿勢(ポーズ?)を示すことにしている。← 本気度がどの程度か,皆さんの想像にお任せします(苦笑)。
8月に福岡で開催される日本地学教育学会の大会で,高校地学に関するトピックについて話すことにした。今回は「地学」(4単位科目)に含まれる「日本列島の成り立ち」についての批判的発表。講演要旨を書き始めた。
1)研究者の見解が一致しているとは言えないトピックについて,一部の教科書では執筆者の考えが強く反映された独断的な内容になっている。
2)仮説の域を出ていないことが,教科書では定説のように扱われている。
3)某トピックについていくつかの仮説(解釈)があることを教科書には明記すべきであり,その上で,特定の仮説を説明する場合は,断定的な表現を避けるような注意が必要である。
このようなことを主張するつもり。教育というより,地学教科書のあり方についての話になりそう。
2015/07/04(土) チェコ
再びプラハに来た。先週と打って変わって今日のプラハはガンガンの夏! とても暑くて,日陰を探しながら歩いた。
欧州の多くの街がそうだと思うが,街じゅうが「石」で包まれていて,日常的に岩石を扱う身としてはあちこち目が行ってしまって落ち着かない(苦笑)。横には建物(一見奇麗に見える建物も,壁の内部はほとんどが石かレンガを積んでいて,それをモルタルで固めて表面を塗装してできている),下には石畳,上にはときどきアーチ。
ホテルの部屋が陽のあたらない側になると,朝晩は本当に涼しい。私が泊まっている宿が安宿だからかどうか知らないが,部屋にクーラーがない。涼しいのでクーラーが要らない。しかし冬は非常に寒いのだろう。寝室にもバスルームにも必ずオイルヒーターがある。真冬の「石の部屋」を想像しただけでもゾクゾクする。
2015/07/03(金) オーストリア
ウィーン西方のヴァッハウ(Wachau)はワインで有名。ワインを味わうために,ではなくヴァッハウのドナウ川流域の地質と地形を観察するために,今日はローカル鉄道+バス+船+徒歩で歩き回いた。
ドナウ川はこの地方ですでに幅100 mをゆうに超える大河(黒海までまだかなり距離があるのですが)。予想以上に流れが速くて驚いた。すごい水量。この流速だと細礫以下の砕屑物は流されてしまう。そのためか,河岸は多くの場所で石を積んで補強されていた。
実に風光明媚なところで,自然と「美しく青きドナウ」が思い出された。流域には所々にロマネスク〜ゴシックの廃城がある。デルンシュタイン(Dürnstein)という街にはKuenringerburgという有名な廃城がある。この廃城,本当に素敵なのだが,この周辺の岩石(主に片麻岩)の露出もまた素晴らしい。くしゃくしゃの褶曲が美しい(苦笑)。
今日も大汗をかいたので,喉を潤すためにカフェに入り,通常ならビールを頼むところだがヴァッハウなので当然ながら今回はワイン。店員さんリコメンドの白ワインを頂いた。ドナウの流れとくしゃくしゃになった片麻岩を見ながらのワインは格別だった。
2015/06/30(火) オーストリア
今週はフィールド週間。山脈に行くために,とりあえず国際列車(railjet)でウィーンに来た。
今日は移動日で時間があったので,ウィーン市内を歩いた。ウィーンはいいね! 歴史と最新が同居している感じ(プラハも同様だが,プラハとは違う雰囲気がある)。シュテファン寺院に至る歩行者天国はすごい人。人混みを避けるように「世界一美しいライブラリ」と言われる国立プルンクザール(Nationalbibliothek
Prunksaal)に入った。1501年以降の書物が奥行78 m×幅14 m×高さ20 mのバロック調ホール内に収蔵されている。「知」の偉大さをあらためて感じた。
2015/06/29(月) チェコ
申し込んでいた学会巡検がキャンセルになったので,そのコース(の一部)に一人で行ってきた。目指すはボヘミア東部のチェスキー・ライ(Český
ráj; 英名Bohemian Paradise)。世界ジオパークにもなっている。
しかし,チェスキー・ライへの行き方がよくわからない。「地球の歩き方」には載っていない(この本は自然系が弱い)。ネットを調べてもよくわからない。しかし場所はだいたいわかったので,最寄りの一番大きい街と思われるTurnovにとりあえず行くことにした。「行けば何とかなるさ」というノリである。昨日に引き続きプラハ本駅でチェコ鉄道のチケットを買い(チェコ鉄道にはだいぶ詳しくなった),Turnov行きのディーゼル列車に乗り込んだ。Turnovまでは約2時間の旅。
Turnov,ここは何もない街だった... インフォメーションブースもない(実は駅内にあったのだが最初は気がつかなかった)。仕方ないので,とりあえずバスターミナルに行った。ちょうどバスが入構してきたので,バス運転手に「Český
ráj云々...」と聞いたのだが,この運ちゃん英語が全然わからないようだ。スマホの地図を示して身振り手振りで意思疎通をはかったら,運ちゃんが手招きしたので,このバスで行けるだろうと思って乗り込んだ。バス発車。しかし,スマホのgoogleマップの現在地は目的地と反対の方向に進んでいることを示した。ガーン! どこに行くんだこのバスは!
結局,連れてこられたのはLiberecという,目的地とは正反対に20 kmほど行った街だった。チェスキー・ライよ,さようなら。こうなったらやけくそ。Liberecで何か見つけようと街中散策。しかしこの街も英語がない(地図や案内板の説明も全部チェコ語)。地図と勘で歩いたが,見所に乏しい街のようだ。
歩いているうちに中華料理店を見つけたので,そこで昼食。ここも英語が全然ダメ。メニューもチェコ語なので困った。「地球の歩き方」のチェコ会話文を参考にしてゴチャゴチャ言ったら何とか注文できた。ボリューム満点の野菜炒め+ご飯が出てきた。ビール0.5 Lと合わせて100コルナ(約500円)。やはり田舎は激安である。昼食には満足。
このままプラハに戻るのはみじめだし,そもそもプラハへのダイレクトな戻り方もわからない。Liberecの駅に行って電光掲示板を見たら,Turnovという文字があるではないか! やはりチェスキー・ライに行きたいので,Turnov行きのチケットを買って,ディーゼル列車で再びTurnovへ。
Turnov駅内でインフォメーションブースを発見したときは本当に嬉しかった。英語が通じる! チェスキー・ライのHrubá
Skálaという見所にはTurnovから南東へ3駅ほど行けばいいということがわかったので,再びチケットを買ってディーゼル列車に飛び乗った。
ということで,今日の一人巡検の目的地に到着したのは夕方4時頃であった。Hrubá
Skála,そこは露出(砂岩)も景色もすばらしいところだった。火山岩ネックの頂部にあるHrad
Trosky(トロスキー城)も見えた! 砂岩の岩壁上から見渡すボヘミア東部は美しかった。
2015/06/21(日) チェコ1日目
IUGGに出席するため,今日からチェコ(主にプラハ)出張である。
チェコは初めての訪問だ。チェコと言えばビール。そしてプラハと言えば音楽と建築。中部空港からヘルシンキに移動する機内で,田中充子「プラハを歩く」(岩波新書)を読んでプラハの建築の予習をした。プラハはヨーロッパ建築の宝庫。学会セッションの合間に時々(しばしば?)抜け出してロマネスクからの建築をじっくり観察するつもり。石材に使われている岩石の観察も。建物の石壁にへばりついている姿は奇異に映ると思うが...
ヘルシンキ行きのフィンエアーは前席も隣も空席で楽ちん。搭乗率は70%くらいか? こんなに空いているのは日曜だから? 機内の毛布はマリメッコの黄緑の水玉模様。さすがフィンランド。
機内で飲んだフィンランドビール「Karhu A」。熊の絵柄。CAさんに「強いわよ」と言われたが、アルコールは5.3%で,フィンランドではこれが強いほうなのか? さっぱりして美味しい。続けて2本も飲んでしまった。
ヘルシンキからプラハに移動。空港からバスと地下鉄を乗り継いで市内へ。ホテルの最寄り駅から地上に上がると,そこにはアールヌーヴォーの整然としたアパート・ホテル群があった。驚いた。美しい。今日は疲れたので街には出ずに早く休むことに。明日はレジストレーションだけなので,他の時間は街中で建築・石材観察!
2015/05/23(土) 聞き手のことを考えて話してる?
某学会の一般向け講演会に参加した.発表者は4名,学術的内容はそれぞれ大変興味深いものだった.しかし,プレゼンテーションの点では,私の基準では2人合格,2人失格だった.
一般向け講演会なのに,その道の専門家(peer)に向けて話すように専門用語や英単語を駆使して一体どういうつもり? わかってもらえるはずがない.そもそも一般の方にわかってもらおうという気持ちがないのでは? 実は一般の方はどうでもよくて,少数参加していた学会役員向けのパフォーマンス(または宣伝)だったの? せっかく一般の方がわざわざ足を運んでくれたのに,この分野を嫌いになってしまうよ.一般向けのイベントのはずが逆に「ネガティブ・アウトリーチ」になってしまったかもしれない.
研究者に「わかりやすくかみ砕いて話をすること」を要求するのは論外,酷だ,という意見もあるかもしれない.しかし私はそう思わない.専門家にしかわからない隠語(専門用語や英単語)をどんな状況でも平気で使うような人は,話す能力(語彙や言い回しを含む)に著しい問題があるか,相手のレベルを想像して相手を思いやる気持ちが全然ないか,あるいは自分の仕事をうまく売り込むような腹黒いことしか考えていないと私はみなす.
もし私の研究室の学生が,小学生や中学生に向かっていきなり「この岩相層序は...」「この東偏した固有残留磁化は...」などと言ったら,私は思いっきり叱り飛ばすだろう.それと同じレベルの話.
2015/05/22(金) ユーザーのことを考えているの?
1ヶ月前にfacebookに下の文章を書いたが,状況は全然改善されていない.転載しておく.
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キャンパス内の駐車スペースが自転車置き場になってから1ヶ月近く経つが,利用状況はお昼時のいい時間でこの有様。ガラガラ。事務から「新設されたから使ってね」という内容のアナウンスが学生に出されたようだが,それでもガラガラ。
この新しい駐輪場,教職員にも学生にも,とにかく評判が悪い。
自動車利用者は,利用しやすい場所にあった貴重な駐車スペースが大幅に(40台分くらい)潰されたことに不満のようだ。自転車が満車になるくらい使われているなら渋々納得できるかもしれないが,この有様なので,そりゃあ不満爆発だろう。私は普段車を使わないので関係ないが。
周囲の学生と話をすると,口を揃えて「そりゃあ使いませんよ」という。私もそう思う。なぜか。利用者の立場に立ってちょっと考えれば誰でもわかる。
1)誰だって自転車をこいだり押したりして坂を上りたくない。坂の下か,坂の途中がいい。しかしこの駐輪場は坂を上ってさらに走ったところにある。
2)この駐輪場に行くには共通棟(授業が行われる建物)を通り過ぎてしまう。学生は共通棟に行く途中に止めたいだろう。
3)屋根付きのほうがいいに決まっているが,この駐輪場には屋根がない。
こんな場所に広大な青空駐輪場を作る神経を理解できない。
なぜこんな「利用者に不親切な」駐輪場ができてしまったのか? 私のような平社員には事前に何の情報も伝わってこなかった。気がついたら(3月に米国で休暇を楽しんでいるうちに)完成していた。上層部かどこかの教員か事務職員か知らないが,誰かがふと思いついた案が無批判に通ってしまったのだろうか? 誰も責任を取らないのをいいことに,安易に計画を進めてしまったのか?
お金のことはあまり考えたくないが,この駐輪場整備に一体どれだけ使ったの? と思ってしまう。すごく立派だ。しかも金物は「AUE」の文字入り! お上や世間に対しては「本学は学生のためにこんなに立派な駐輪場を整備しました!」と言うのかな?
2015/04/05(日) 学校での部活動
3月に卒業した何人かの学生から(あ,もう学生ではないか),職場での配属や憤慨?などのメールが届いた。その中に「これから休みがなさそうです」というつぶやきがあった。詳細は聞いていないが,授業などの本務のほかに部活顧問など本務ではない負担が大きそうで不安,ということではないかと察している。
これまでも多くの卒業生から「とにかく部活の負担が大変だ」という声を聞いてきた。それは現役の学生もよく知っているようだ。自分が中学・高校の生徒のときに顧問の先生を見てきただろうし,教職に就いた先輩からも話を聞いているのだ��、。中には「就職したら部活を持たなければならないので,学生時代に運動部に入っておいたほうがいい!」と,当然だろうという顔をして話す学生もいる。
私自身,中学・高校時代は部活(陸上部)に熱中し,中学・高校とも陸上部の部長をつとめた経験がある。平日は暗くなるまで活動し,朝練もした。大会シーズンは土日も関係なく部活をしていたと思う。もちろん顧問の先生も出てきていた。当時はそれが当たり前だと思っていた。今はさすがに考えが変わった(と思う)が,それでも「若い頃は体育系の部活で体と精神を鍛えたほうがいい」という考えが完全に消えたわけではないようだ。。。この考えが時々ひょっこり現れて,子どもの教育論で連れ合いと大げんかになることもある。
Yahoo! で「どうすべき? 部活顧問で疲弊する教育現場」という記事が話題になっている。興味深く読んでいたら,内田 良先生(名大院,数年前まで愛教大にいた先生)もこの問題について複数のエントリを立てていることを知った。今になってやっと,この問題が教育現場でも政治の場でも大きくクローズアップされようとしている。教師の部活顧問は職務ではなく,いわばボランティアである。しかし「全員顧問制度」という名のもとに,中学ではほとんどすべての教師が何らかの部活の顧問をさせられているようだ。制度と言うが,実際は法的根拠のない,古くからの「慣習」であろう。ここ数年のうちに何らかの法的あるいは政治的な動きがあるような気がする。
現場の教師にはさまざまな考えがあるに違いない。「部活の負担をなくして,本務の授業や教材研究により多くの時間を使いたい」,「土日は休んで,家族とともに過ごしたい」という考えがあって当然である。これは当たり前すぎて,私はこれ以上理屈を述べる必要がないと思うが,一方では「聖職である教師にそんな甘い考えは許されない」,「教師は子どものために尽くして当然であって部活も然り,それができないなら教師をやめるべき」,「そんな教師がいると,他の教師の負担が増えるじゃないか」という思想もあるに違いない。声の大きい教師や管理職がこのような思想を持っていると,前者のような(私には当たり前と感じられる)考えを持っている教師にとって学校現場は地獄だろう。
部活で生徒と一緒に頑張りたいと思う教師は,そうすればいい。しかし,教師全員がそのように思っているわけではないことを私たちは強く認識すべきである。また,相当多くの時間が部活によって奪われ,それが本務に影響してしまう教師もいることを認識すべきである。
大学では今度の水曜から授業が始まる。学生にこの問題を投げかけてみたい。
2015/04/02(水) 帰国後ボケ状態
昨日帰国した.
半月にもわたる休暇の間,研究と仕事をまったくしなかった.今日からバリバリ働くぞ! と思って大学に来たが,溜まった書類やメール処理をやっているうちにかなりボケていることが判明.今日は論文修正作業をしないほうがいい.雑用を今日中に済ませ,ボケ状態から脱却したい.
今回の休暇では,半月もの間,1日24時間ずっと家族とともにいた.これほどの長期にわたってずっと家族とともにいたのは初めてだ.至福の時であった.
2015/03/23(月) Pageにて
コロラドで遊んだ後,Las Vegasに移動し,またレンタカーを借りてGrand
Circleの気まま旅行をしている.今朝までGrand
Canyonに滞在,そしてPageに移動し,Horseshoe
BendとToadstool
Trailを訪れた.昨年12月に訪れたばかりだが,非常に楽しいところなので,家族で来たいと思っていた.満足のトレッキングができた.特にToadstool
Trailは本当に良い.
休暇も中盤に差しかかった.ゆっくりと楽しみたい.
2015/03/18(水) Estes Parkにて
久々の長期休暇.成田発UA便でDenverに移動,空港でレンタカーを借りて,Rocky
Mountain National Parkの東の玄関口であるEstes Parkへ.かなり寒いだろうと思って真冬の防寒具を持ってきたが,日中の気温が60°Fくらいまで上昇して春の陽気.
Denver空港でDollarレンタカーを予約していたが,何を間違ったのかNational行きの連絡バスに乗ってしまい,Dollarの店に行けず,一旦空港に戻ってDollar行きのバスに乗って... ということで,時間をだいぶロスしてしまった.フルサイズのセダンを借りたが,傷だらけの古い車しかなくてちょっと不満.Dollarは初めてだが,もうやめよう.
みんな疲れているので,今晩の夕食は簡単にタコベルで済ませた.
2015/03/04(水) 高知滞在中
高知コアセンターの成果発表会にあわせて,今日から来週はじめまで古地磁気測定.でも,今日はパススルー磁力計の先約があったので,スピナーとパルスマグネットを使って岩石磁気実験を行った.その作業が半日で終わったので,残りの時間は宿(キャンパス内)の自室で論文書き.静かな環境.かなり進んだ.
明日から堆積岩サンプルの段階消磁実験.成果発表会の発表で,パススルー磁力計に無視できない問題がある可能性が指摘されたので,まずは標準サンプルを使ってその可能性の検証をするつもり.その作業に半日かかりそう.
2015/02/27 ホームページ再開!
昨年6月に教室のサーバーがダウンした.それに伴って私のホームページを更新できなくなった.見ることもできなくなった.再構築が面倒なので放っておいたのだが,研究業績リストなどをホームページ上で管理していたのでページ更新をしなくなるといろいろ不都合なことが出てきた(その間,ResearchGateのデータをかなり整備したのだが).仕方ないので今日,数時間もかけて新しい(と言っても内容は以前とほとんど同じ)ホームページを立ち上げた.アホみたいな作業... 疲れた.
日常の些細なことはfacebookにゴチャゴチャと書いているが,重い文章を書くのはやはりzakkiでないと調子が出ない.
2014/06/06 まだSTOPしないSTAP
STAP論文は科学論文としてデタラメであることが明白になった.Retract(撤回)される論文に書かれている内容は信用できない.小保方氏がこの期に及んでも存在を主張するSTAP細胞なるものも信用できない.科学では至極当然だと思うのだが,この国のマスコミ(マスゴミ)は今なおSTAP問題で連日盛り上がっている.もう科学を離れて完全にワイドショーである.マスゴミは,若い女性研究者ではなく例えば私のような中年男性研究者が「STAP細胞はあります!」と言い張っても同様にワイドショーを続けるのだろうか? 本当に馬鹿ではないかと思う.
文科相は「小保方さんが(研究の)中心的な役割を担ってきたし,本人は200回も(STAP細胞を)作ったと言っている.ベストの状態で検証することが重要だ」と言っているようだ(毎日新聞による).理研もどうしようもない組織だが,この人もどうしようもなさそうだ.Retractされる論文で主張された怪しい(まともな研究者は絶対に信用しない)細胞の存在を,多くの時間と人的労力と費用(税金)を使って「検証」せよと言う.こんな馬鹿げた話はない.こんな怪しい細胞のことはさっさと忘れて,研究者は違う(インチキではない)研究に時間と労力と研究費を使うべきである.
理研CDBの自己点検検証委員会の報告書案の内容が明らかになったそうだ.「論文作成の経緯などを調べた報告書案で,「社会の注目を過度に集めるような報道発表の仕方が,問題を一層複雑にした」と指摘した.新たな予算獲得につなげようとする研究者の思惑があったのではないかとの見方も示した.」と読売新聞は書いている(記者名なし).まあ,この新聞社がどうしようもないことは言わずもがなであるが,「リケジョ!」「割烹着!」「ノーベル賞候補!」と馬鹿騒ぎしたのはどこの誰ですか? 報道発表した側だけが問題だと言いたいの?
2014/06/03 大学院手当
今更だが大学院手当の仕組みがわかった.こんなところにも理不尽なルールが.教授様はいいですね〜.
モチベーションが急降下.
2014/05/10(土) 実験ノート
STAP論文の不正問題に私も注目してきたが,その中でかなり気になったのが実験ノートである.公表されたノートの一部を見る限り,あれは確かに実験記載(方法,条件,結果記載)の体をなしていない.人のノートに対してつべこべ言うのは簡単だが,それでは自分や学生の実験・観察記録はどうだろうか? 実はあまり人のことを言えないのではないか?
地質調査の記録は「フィールドノート」に記載するのが普通である.フィールドノートにはいくつかのタイプがあるが,方眼のB6サイズ程度のものが多い.私もそのようなノートを使用している.紛失したときに発見者に連絡してもらうことを期待して,表紙にはフィールド(地域)名,氏名,連絡先を明記している.ノートには調査日付と露頭番号(または露頭ネーム)を必ず明記し,観察記録(文章,測定データ,露頭スケッチ,柱状図など)を必要にして十分な程度に記載する.記録は消えない(消せない)ようにボールペンを使用している.ただしスケッチと柱状図は時々間違えるので,修正しやすいように鉛筆で描くことが多い(その後,色鉛筆で着色する).露頭で思いついたアイディアは,その場で手書きで記述するか,その日の調査終了後にパソコンで書いてプリントアウトし,それをノートに糊付けしている.私は文字が汚いのでノートをあまり他人に見せたくないが,内容は自信を持って人に見せることができる.
学生はどうか.正直言って,これまで学生にフィールドノートの記載法を丁寧に教えたことはなかった.私は院生時代,先輩の研究者(指導教員ではなく,院生時代の実質的なアドバイザー)の大変美しいフィールドノートを見て衝撃を受け,それを真似しようとして書き方を覚えた.そのため自分も愛教大の学生に対して自分から積極的に教えることには少し抵抗があり,どちらかと言うと「私(星)のノートを見て,良い点を盗み取ってほしい」という気持ちがあった(今もある).学生のノートを覗き見ると,学生によって実にさまざまである.日付がない場合もあるし,その場でほとんど書かない(記憶に頼って後から書く!)こともあるようだ.「その場で書くと汚くなるので,後できれいに書きたい」という学生もいる.ひどい学生になると,ノートを一切とらずにスマホに打ち込んでいる(柱状図やスケッチはとっていない).さすがにこれは注意した.今回のSTAP論文の不正問題を見て,ノートのとり方は大きな問題だと感じるようになった.やはり基本的な書き方はきちんと教えたほうがよいのかな,と思うようになった.
磁気測定の場合はどうか.かつて私が学部生だったときは,測定データはすべてドットインパクトプリンタでプリントアウトし,ノートにも手書きでデータを記録していた.直交投影図や等積投影図も手で描いて,それをノートに糊付けしていた.しかし現在は測定の自動化が進み,データもパソコンのハードディスクに記録される.そのためノートを作らなくなった.超伝導磁力計の測定データ(ファイル)には主な測定条件とタイムスタンプが記録されているので,ファイルさえ紛失しなければ問題ない.スピナー磁力計での測定は,ファイルにタイムスタンプは記録されるが,測定条件は一部しか記録されない.個々の試料にIRMやARMを着けるような実験では,独自に作成したデータ記入シートに手書きでデータを記入こともあるし,エクセルファイルにデータを入力することもある(最近は後者のほうが多い).印加磁場強度など重要情報は当然記録しているが,測定日時,室温,その他細々とした情報が欠如していることがある.このように振り返ると,磁気測定のデータ記録は不十分な点が多数ある.特に測定条件の記録が不十分なことが多い.これは初心に戻って,早急に改善する必要がある.
2014/04/29(火) スマホとLINE
長男はこの4月から中学生になった.小学校とは違ういろいろな事件?が起こると予想していたが,さっそく起こった.しかも非常に悩ましい問題が.「スマホ」と「LINE」と言えば,おおよそ想像できるだろう.
断っておくが,長男はスマホを持っていない.ガラケーも持っていない.中学1年で必要なわけがない.だから持たせていない.当然「欲しい」と言っているが,まだ買い与えるつもりはない.そんなモノよりも大切な時間と経験を与えたい.しかし,彼によると同級生の大多数は持っているという.LINEをやっているという.私の感覚では信じられないが...
彼の知らないところで写真を撮られ,それが勝手にLINEで流されたという.彼はスマホを持っていないので見ることができない.どのような写真なのかもわからない.しかし友達はいろいろ言ってくるという.当然,彼は気持ちが悪いし,いい気がしない.人権が著しく侵害されるような写真ではないと思われるので,本人もできるだけ平然を装うように努めているようだが,実は相当頭にきているようだ.当然である.その話を聞いたとき,私も頭にきた.しかし,すぐに大きな不安に襲われた.一体この先,この社会はどこに向かっていくのか? 大人は一体,何をやっているのか!
ハードの使い方だけ覚えて,モラルやマナーは気にしない.目先の楽しさやウケだけを狙って,人の心を考えようとしない.そんな子ども(と大人)に対して,私たちはどのようにすればいいのか? いよいよ自分が真剣に考えなければならないときがきた.
2014/04/21(月) 久々の書き込み
久々の書き込みである.最近はfacebookに近況を書いている.日常のちょっとした風景や出来事を気軽にアップするにはfacebookが便利だ.しかし言いたいことを長々と書くのは,やはりこのzakkiがいい.
相変わらず「論文書かなきゃ〜」と日々思い,遅筆だが書いている.学生(学部生)が頑張って研究するので,毎年数編の論文が書ける程度のデータと新知見が得られる.しかし学部生のほとんどは学校教員等に就職してしまう.そのため,うかうかしているとデータが溜まってしまい,そのうちデータが古くなって論文にできなくなってしまう.膨大なデータを持つのは嬉しいことだが,それを溜め込みすぎると精神的に良くない.こんな状態がもう10年以上も慢性的に続いているのである.
おっと,そういえば来週は連合大会だった.全然準備していない(汗).こんな駄文を書いている暇はない.ということで終了.
2013/09/03(火)
メリダ滞在の最終日(8/31)は,海岸地形観察と海岸砂採取のため,ユカタン半島北岸のProgresoという街に行った.メリダからProgresoまで路線バスで片道1時間弱,往復25ペソ(激安!).英語がまったく通じないドキドキの小旅行だったが,最高に面白かった.
行きのバス.景色を楽しみたかったので,始発のバスターミナルでバスの最前列に座った.比較的空いていたのに,なぜか若い男が私の隣の座席に座った.ちょっと怪しい風貌の男.「これはマズイかも...」と思って荷物を握る手に汗が.しばらく走っていくうちに乗客も増え(乗客は道の適当なところで手を挙げてどんどん乗ってくる),ほぼ満席になったが,突然その男が運転手に何やら話しかけた.運転手はなぜかエアコンを止めた.意味不明.そしたら,その男は突然立ち上がり,なんと大声で歌い出した! 意味不明だあ! しかも下手! 歌いながらバスの最後列まで歩き,また前に戻る.何だぁ!? 何人かの乗客はその男にコインをあげていた.小銭稼ぎの歌? こんなヘタクソにカネをあげるなんて,どうかしている.私はあげなかった.その男はまた私の隣に座り,途中ジャングルの何もないところで下車した(運転手に言えばどこでも下車できる).多分,その男は次々とバスに乗って,下手な歌を歌い,小銭を稼ぐのだろう.バス代のほうが高くつくのでは?
Progresoの海はたいへん美しく,海岸でしばらく砂採取と写真撮影を楽しんだ.石灰質の白い砂浜にエメラルドグリーンの海.熱帯魚と熱帯植物.観光地ではないらしく,海水浴の人は多くなかった.ここから東に数km行くと,地球惑星科学では超有名なChicxulubの街である.そう,白亜紀末の大量絶滅の原因となった巨大隕石衝突によってできたChicxulub
craterの中心にある街である.このクレーターはユカタン半島を覆う石灰岩層によって完全にカバーされているため,現在の地表を見ても隕石衝突の痕跡はまったくわからない.
夕方はメリダ中心街を散策し,スコールに見舞われ,雨宿りを兼ねてカテドラルでミサに参加した.私は宗教には詳しくないし,自分では無宗教だと思っているが,この厳かな雰囲気にいると心が安らぐ.ディナーは再びLos
Almendros.
4年後のIAGAは南アフリカらしい.そのときの研究費によるが,また参加したい.30以上ものシンポ・セッションをわずか3日間でやってしまうたいへん忙しい日本地質学会年会に慣れている身としては,このダラダラなIAGAは新鮮で,専門の研究以外にも(開催地の地質や地形,文化など)収穫が多い.
2013/08/30(金) メキシコ・メリダにて
今日はユカタンの地質と考古遺跡の関係を調査するために(?),九州大のK先生とS君,それに高知大のYさんと一緒に有名なマヤ遺跡であるChichén
Itzá(チチェン・イツァ)に行った.YさんとS君が宿泊しているホテルに集合し,朝9時にツアーのバンで出発.サンフランシスコから来たという米国の若い男2人組が同乗し,たいへん陽気なガイド兼運転手に連れられてメリダからカンクン方面へ約90分.途中はジャングルだったが,セノーテがあるところには小さな集落ができていた.先週訪れたウシュマルみたいなものだろうと思っていたが,観光客の数がとんでもない! 人でごった返していた.大型バスのツアーや私たちのようなバンのツアーで,おそらくカンクンから日帰りで来ていると察するが,とにかくすごい人である.ウシュマルとは比較にならない.
現地で3時間ほど観光,ではなく調査したが,遺跡はやはり見事であった.有名なエルカスティージョ(ピラミッド神殿)はやはり大きかった.最近の考古調査で地面の下にも土台?が埋もれていることが判明したらしく,それを含めるとたいへん大きな神殿である.小雨のときに生け贄や貢ぎ物が投げ込まれたというCenote
Sagrado(聖なる泉セノーテ)は,ジャングルにぽっかり口を開けた大きな,深い水たまりであった.大人だけでなく子どもの生け贄まで投げ込まれた様子を想像して,人間の残酷さについて考えた.その他,主な構造物はすべて見学,ではなく観察した.お土産屋の数がすごかった.呼び込みにウンザリしたが,輝と樹に黒曜石のナイフをお土産に買ってやった.ペソの持ち合わせが少なかったので,値切り交渉をしてから頼み込んで米ドルで支払った.
メリダへの帰り道,有名な「泳げるセノーテ」にも立ち寄った.ここはたいへんきれいなところであった.海パンを持ってこなかったのを後悔した.ここで泳げたらどんなに気持ちがいいだろう.ガイドの話によると水深はなんと50 mもあるという.そんなに深ければ,どんなに高いところから飛び込んでも大丈夫だろう.
夕方はホテルのプールでスイミング.夜はソカロ付近に出かけた.ディナーはネットで調べたEl Chile
Habanero Restauranteというレストランに入り(サンタルシア公園の近く),Pollo
Pibilをオーダー.コロナビールを片手にタコスチップをつまみながらメインディッシュが出るのを待つ.タコスチップはどこに行っても出される定番の品である.これに各種サルサを付けて食べる.今日のサルサは「まろやか風味のクリーム」「甘辛唐辛子のような粘性の高いソース」「激辛緑色」の3種類だった.激辛は美味しいのだが,とにかく辛くてビールがないと食べられない.そう思っていたら,若いお姉ちゃんがコロナビールを持ってきた.「オーダーしていない!」と言ったが,英語を話せないようで困っていた.引き下がったが,かわいそうだったのでコロナビールをもう1本頼んでやった.というか,ビールがないと激辛を食べられない.そんなこんなでメインディッシュが来て,トルティージャと一緒に美味しく頂いた.胃がパンクするくらい食べて飲んだ.このレストランも良かった.プライスが良心的で,これだけ食べて飲んでチップを入れて130ペソ(約1000円)である!
食後にアイスを食べたくなったので,OXXO(コンビニ)に行って9.5ペソのアイスを買った.柑橘系の味を予想していたが,何とピリ辛アイスだった! 何だぁ!? 辛いアイスは初めて食べたぞ.驚きのアイスである.
あれだけ飲んだのに,もう少しだけビールを飲みたくなったので,OXXOで缶ビールを買うことに.メリダでは夜10時以降は店での酒類販売が禁止されている(飲食店では飲める).ギリギリの時間に急いでSOL(ビール)を11.5ペソで買い,ホテルに戻ってきた.早速飲んでみたら,アルコールの味がしない! しまった,ノンアルコールのSOLを買ってしまった!
2013/08/29(木) メキシコ・メリダにて
『地球の歩き方 メキシコ』で「本格的なユカタン料理を!」と紹介されている店がどうしても気になったので,ディナーに一人で行ってみた.Los
Almendrosというレストランだ.宿泊しているホテル(Missión
Mérida)から歩いて2,3分のところだ.店に入ったら客が一組しかいなくて「これは失敗か!?」と思ったが,入ってしまったので仕方がない.英語を話せる陽気な店員がいて,席を案内され,メニューを見てどれも美味しそうなので悩んだ末,「pechuga
de pollo a la yucateca」を頼んだ.結論を言うと,大当たり! 最高に美味しい! 100%自分好みの料理である.Montejo(ビール)がグイグイ進む.店員さんに写真を撮ってもらう.たいへん楽しいディナーを頂くことができたので,チップを多めに渡した.それでもトータル約140ペソ(約1100円)である! こんなに安くていいのか? とにかく,この店はオススメである.
2013/08/28(水) メキシコ・メリダにて
IAGAは中間にさしかかった.地質系の学会では考えられないほどゆったりとプログラムが進行している.発表キャンセルも多いので,何となくダラダラ感を感じている.
3食ともメキシコ料理を堪能している.もうお腹いっぱい.確実に体重増加かな.スペイン語しか通じないレストランが多いので,メニュー(スペイン語)を見ても話(スペイン語)を聞いても何だかよくわからない.電子辞書が大活躍.この辞書,だいぶ前に研究費の消化目的で購入したものだが,初めて役に立った.
ペソを日本に持ち帰っても仕方ないので(メキシコに来る機会は滅多にないはず),余りを少なくするために少しずつ両替している.財布の中にはいつも400〜600ペソしか入っていない.と言っても400ペソもあれば3日くらいは困らない.600 mLのコカコーラが8ペソ(約64円),350 mL缶ビールが11〜15ペソ(約88円〜120円)程度である.中級程度のファミレスでジュース・コーヒー付きのボリュームたっぷりセットメニューを頼んでも100ペソ(約800円)で足りる.屋台は安い(ホットドッグが9ペソ,大きなハンバーガーが20ペソくらい).今日はWalmartでお土産(食料品や調味料など)を大量に購入したが,それでも約400ペソだった.
2013/08/24(土) メキシコ・メリダにて
Ola!
IAGAに参加するためにメキシコ・ユカタン半島のメリダに来ている.昨日(23日),中部→成田→ヒューストン→メリダという長い移動をした.ヒューストンまでは予定通りだったが,メリダ行きの飛行機が大幅に遅れ,メリダに着いたのが夜11時過ぎ.メリダで両替したほうが絶対にレートが良いと思ったので米ドルしか持ってこなかったが,空港の両替所が何と閉店しており(到着便があるというのに!),ペソ一文無し(?)で大変困った.タクシーチケット売り場で頼み込んで米ドルでチケットを買い,何とかホテルに到着.しかし一文無しというのはやはり不安で,昨夜は3時間しか寝られなかった.
そして今日,マヤ遺跡の巡検に参加.さすがにペソ一文無しではどうしようもないと思ったので,ホテルフロントのおじさんに頼み込んでペソを個人的に(!)売ってもらい(とりあえず20米ドルだけ),早朝集合場所へ.巡検参加者は私を含め16名.以前旅行社からメールを貰ったときは4名だけの予定だったが,何だかよくわからない(当日参加が多い? かなりいい加減なのか?).Dzibilchaltun(呼び方不明),Labna(ラブナ),Kabah(カバー),Uxmal(ウシュマル)を回った.ガイドしてもらった考古学者(氏名忘れた)には大変丁寧にマヤの説明をしてもらった.Dzibilchaltunでマヤの概要の説明を受けた.ジャングルというほどでもないが,低木の多い密林の中に遺跡が点在し,いまは密林だがかつてはあちらこちらにコミュニティがあったことを示している.遺跡の規模という点でやはり圧巻だったのは世界遺産のウシュマルである.2時間ほどウシュマルを歩き回った.イグアナにも遭遇した.しかし,今回の巡検は内容が濃すぎて昼食の時間が取れず(ウシュマル見物が終わった夕方5時頃に”lunch”になった),ウシュマルの急な階段で参加者の一人が転倒・滑落して怪我をしてしまい,いろいろな意味で大変疲れた.ユカタンは日本と同様に高温多湿で,小一時間も歩くと汗だくになる.しかしバス車内はエアコンが18℃に設定されて極寒で,これも疲れを増長した一因か?
明日は街中で両替できそうである.やっと安心できそうだ.両替してから中心部(Centro)で少し観光し,夕方にregistrationをして,アイスブレーカーに参加するつもり.
2013/08/10(土)
ひらめき☆ときめきサイエンス「地層と化石を調べてみよう!」は1日目が無事に終了.猛暑の中,みんなよく頑張った! 明日2日目も同じ内容を実施する.打ち上げのビールがうまそうだ.
2013/08/07(水)
12月のAGU Fall
Meetingで発表するためアブストをサブミット.12月もサンフランシスコである.しかし,せっかくの訪米だし,12月はいろいろな所が比較的空いている季節でもあるので,大陸の大自然巡り(physical
geologyの理解の深化と資料収集のため,という出張理由)もしなければならない.ということで,AGU終了後,Phoenixに飛んで車を借りて,数日間アリゾナを中心にphysical
geologyの理解深化と資料収集のための一人旅をすることにした.行きたい所はいくつか頭にあるが,自由に動き回りたいので宿は予約しない.これがアメリカの自然巡りの私スタイル.
12月は学生の卒論の重要な時期であるが...学生には申し訳ないが,自分の知的欲求を抑えることはできない.とても楽しみである.はやる気持ちを抑えきれず,もうレンタカーを予約した.
2013/08/05(月)
米国滞在中に溜まってしまった放送録画をこの土日に集中的に観た.「八重の桜」ではとうとう会津開城.とうとう会津が降参してしまった.�D.本当によく頑張った.西軍の集中攻撃には,何だか自分が薩長土に袋叩きされているような気分になった...ドラマの中で八重が容保公に向かって叫んだ声に,涙が止まらず,困った.
わだしは,何度考えてもわがらねえ.天子様のため,公方様のために尽くしてきた会津が,なじょして逆賊と言われねばならねえんか.会津の者ならみな知ってる.悔しくてたまんねえ.死んだ皆様は,会津の誇りを守るために命を使ったのです.どうか,それを無駄にしねえでください.本当は日本中に言いでえ.会津は逆賊ではねえ! だけんじょ,それを証明でぎんのは,殿様しかいねえのです.だから,何があっても,生きでくだせえまし!
そしてその後,容保公は生きたのである.帝から賜った御宸翰を大切に持って...それが後に,会津が逆賊ではなかった重要な証拠になったのである.
2013/08/02(金)
夏のサンフランシスコは初めての訪問だったのだが(いつも12月のAGU Fall
Meetingのときしか行かない),サンフランシスコは肌寒かった.日中でも気温が25℃くらい?までしか上がらず,朝晩は長袖がないと耐えられない.
Fisherman’s
Wharfの賑わいはすごかった.やはり夏は観光客が多いのだろう.おいしいクラムチャウダーを食す.
Union
Square周辺で地下鉄の工事をしていて,道路が狭くなって大渋滞.そのためかケーブルカーも少なく,乗車待ちの人々でPowell駅付近はごった返していた.
「霧のサンフランシスコ」とはよく言ったもので,Golden
Gate Bridgeはすごい霧で,てっぺんが見えない.強風の中,寒い寒いと言いながら徒歩で橋を往復した.半袖短パンで凍えながら歩く人が多数.この寒い中,半袖短パンで長い橋を渡るのは無謀である.きっと風邪を引いただろう.
2013/08/01(木)
米国から帰ってきて,最高の時間を過ごした余韻を楽しむ間もなくメール処理や学会の仕事,授業などでバタバタ.悲しすぎる.
今回はWashington(Seattleを経由しただけ),California(San
Francisco),Utah,Colorado,Wyoming,Montana,Idahoを移動した.Salt
Lake Cityで車を借りて,コロラド高原北部とGrand
Teton, Yellowstone, Craters of the Moonなどの公園を転々と移動して,再びSalt
Lake Cityに戻るという,かなり無茶なドライブをした.正確には計測していないが,間違いなく1000マイル以上走破し,1500マイルくらい走ったのかもしれない.我ながら,よく頑張った(笑).
Dinosaur
National Monumentは,恐竜化石発掘現場の建物(昔のVisitor Center)が改築され,Visitor
Centerが少し離れたところに新しく作られていた.その新しいVisitor
Centerから発掘現場までシャトルバスで客を運ぶシステムになったのだが,そのバスの排気ガスのすごいこと.公園内でディーゼルの排気ガスをまき散らして,一体何のためのシャトルなのか意味不明.新しい発見は,Dinosaur
NMのほぼ中部にあるEcho
Park付近が素晴らしいこと.Hwy40からEcho
Parkに至る公園道路を終点まで走り,そこから片道1マイルほどのトレイルを歩くと,Green
Riverの侵食による絶景が!
Yellowstoneでは10年ぶりにOld
Faithful Innに宿泊した.内部が少し改装され,ちょっと残念だったが,やはりあの独特の雰囲気(特に夜)は素晴らしかった.Mammoth
Hot Springsの同系列のキャビンにも宿泊したが,あちこちにリスが出現して,子どもたちはリスの追いかけっこをして遊んでいた.やはりYellowstoneは素晴らしい.今度は春の新緑の季節に訪れてみたい.
今回の新しい発見はSnake
River Plainがすごいこと.Yellowstone
hotspotの移動によって複数の巨大カルデラが南西〜北東方向に並んで形成され,そこを膨大な量の玄武岩溶岩が埋め尽くし,Snake
River Plainの中部〜北東部が形成された.とんでもなく広大な玄武岩平原であった.この平原の地下に複数のカルデラが埋もれているとは,地形を見ただけではまったくわからない.Craters
of the Moon National Monumentは完新世に噴出した玄武岩からなっており,玄武岩溶岩の産状と火山地形(スコリアコーン,スパターコーン,リフト,溶岩トンネルなど)がいろいろ観察でき,玄武岩火山活動の博物館であった.溶岩を見るとマグネをやりたくなる変な性癖の私にとって,Snake
River Plainは良いフィールドになりそうである.Idahoといえばポテトだが,溶岩もすごいぞ.
この玄武岩平原の北端にArcoという人口1000人ほどの小さな街があり,そこに1泊した.スーパーのお姉ちゃんに聞いたら,アジアからはロシア人や中国人はたまに来るが,日本人は珍しいとのこと.日本から来たと言ったら驚いていた.Idaho
FallsからArcoに行く途中,玄武岩平原の中の広大な敷地にINLという,怪しげな,よくわからない施設があった.ちょうど夕方に施設の横を通ったのだが,不思議なくらい多数のバスや自家用車が砂漠の中をIdaho
Falls方面に向かってビュンビュン通っていて,これから行くArcoはもしかしたらすごい街なのかもしれないと思ったが,実はINLからの帰宅の車だったようだ.ネットで調べたら,主に原子力関連の研究を行っている大規模な施設らしい(Idaho
National Laboratory).Arcoのお姉ちゃんも「このあたりの最大の産業はINL」と言っていた.Arcoは世界で初めて原子力発電による送電が行なわれ,街に電気が灯ったところらしい.そして世界で初めてメルトダウンの事故が起こったところらしい.福島県出身の私にとって,Arcoに滞在したのは偶然とはいえ,奇妙な巡り合わせである.
2013/07/10(木)
8月のユカタンIAGAにあわせてマヤ遺跡の巡検に行くのだが,その支払いに関するメールが現地旅行業者から送られてきた.PayPalで支払えという内容だが,スペイン語で書かれていてよくわからない.メルアドが記載されていたので,よくわからないが決済してみた.ちょっと不安.
この巡検,参加者が最少催行人数ギリギリ(4人くらい?)のたいへん小規模なものになったようだ.宛先のメルアドを見ると,知らない人ばかりで,私のほかにはルーマニア,フランス,国籍不明から参加するようだ.非常に楽しみである.
今月後半は北米に逃避行である.サンフランシスコ空港は落ち着いただろうか? 真夏のイエローストーンはどんな感じだろう? 出発までに仕事を片付けなければ!
2013/07/05(金)
今週は論文2編を仕上げて投稿(うち1編は査読修正稿だが).地質学会行事委員会の仕事も順調に進んだ.読書もはかどり,たいへん充実した週であった.
今日はこれから金曜実習.クリノメーター使用のテストを行なう.学生はきっとブーブー言うだろう.実習が終わったら東京へ.
2013/06/24(月)
論文である.いま,論文を書くことしか頭にない.他のことはどうでもいい.そんな気持ち.
2013/06/23(日)
いよいよ西軍が会津領内に侵攻してきた「八重の桜」.時間の都合があるので仕方ないのだろうが,母成峠の戦い,戸ノ口原の戦いなど,もっと詳しく扱ってほしいと思った.それにしても弟・三郎の形見の装束を身にまとって八重が銃を片手にお城に上がろうとする描写に,目が潤んだ.白虎隊の自刃,西郷頼母邸の悲劇などは次回扱われるようだ.次回は大腸検査前日の空腹の中で落涙することになるのだろう.
うちの輝と樹にもぜひ見てほしいのだが,残念ながら「八重の桜」にあまり興味がないらしい.「龍馬伝」は毎週欠かさず見ていたのに...子どもにはやはり勝者がおもしろく(龍馬を勝者と言うのは変だが),敗者はつまらないのだろうか? 単なる敗者ではない,新政府軍の連中に賊軍と呼ばれながらも自らの正義を信じて最後まで戦った会津の人々を見てほしい.「愚かな程にまっすぐな会津という国」(新撰組・斎藤 一)に誇りを持ってほしい.その血を継いでいるのだから.
子どもの頃,飯森山によく登った.地元の高校生が白虎隊の剣舞を披露したのを見たことがあるが,当時は歴史を知らなかったので何も感じなかった.それよりも「さざえ堂」を不思議に思ったものだ.登る通路と降りる通路が同じでない,一体どうなっているの? と.その近くの山肌にぽっかりと口をあけている洞窟があり,そこから絶え間なく水が流れ出てきていた.この水は一体どこから流れてくるのだろう? この洞窟は中が真っ暗だが,奥はどうなっているのだろう? 非常な好奇心と恐怖心を持ったものである.
2013/06/19(水)
東京大学が秋入学を見送り,4学期制にする方針を決めたようだ.
日本の現状の社会制度の中で,大学だけ秋入学にすることに多くの問題があることは自明であり,メディアでもその問題が様々に指摘されてきた.
国際的には4学期制(クウォーター制)に新鮮味があるわけではないが,現状の2学期制より様々な点で優れていると私は考えている.実は私も昨年,本学に4学期制の導入を提案したのだが,梨の礫であった...変われない,いや変わろうとしない大学,また平社員の准教授が言ってもまったく相手にされない大学なので,梨の礫でも気にしないが,東大が4学期制に舵を切ったことで本学を含め他の多くの大学でも4学期制が検討され始めるだろう.
昨年2月に当時の学系長に送ったメール(抜粋)を示しておく.
-------- Original Message --------
Subject: Re: 研究支援の在り方について(調査依頼)
Date: Fri, 03 Feb 2012 20:06:50 +0900
From: Hiroyuki Hoshi
To: ○○○
○○○学系長 ← 星(理科)
標記の件に対する意見を下に示します.
(中略)
4. 研究のための時間について
現状のセメスター制を改め,1年を4つの学期(例えば,4−5月,6−7月,11−12月,1−2月)に区分し,授業を各学期(2ヶ月間)に行うようにする.1週間に同一タイトルの授業を2回実施するということ(2×8週=16回).キャップ制を継続する場合,各学期の上限を13−14単位程度とする.このように改めることで,授業を集中的に行うことができ(現状は冬休みや教育実習などにより授業がブツ切れになってしまう,学生はせっかく学んだ内容を忘れる),教育効果を高めることができると期待される.そして何よりも,私たち教員がまとまった研究時間を確保できるようになる.4−5月期と1−2学期にまとめて授業をし,他の期間は研究に専念する,ということが可能になる.長期出張(国内・海外調査等)もしやすくなる.
2013/06/18(火)
週末の市民講座(今週と来週の2回)と来週のJICAの準備でけっこう忙しい.レポート採点もあって本当に時間がなくなってきた.金曜実習もはじまった.毎年この時期(6月と7月)はメチャクチャになるのだが,今年は7月後半に海外逃亡があるので気分的に少し楽である.しかし早く書かなければならない論文が2本,早くなくてもいいができるだけすみやかに投稿したい論文が1本あり,後者は何とかなると思うが前者2本は今のところ執筆開始の目処が立たない.まずい.
AGUからまともな(?)レスポンスがあり,予想通りWiley側のミスだったようだ.私の中でWileyの信用度がダウン.
2013/06/16(日)
「八重の桜」はいよいよ戊辰戦争に突入.新政府軍(新政府,などという言葉は使いたくない...)によって白河口が破られ,棚倉も落城し,二本松の戦いが描かれた(三春藩の寝返りは描かれなかったが).二本松藩の少年兵らの描写には涙が出た.
これから新政府軍は母成峠を破り,とうとう会津に踏み入ってくる.長岡も被られ,越後側からも侵入してくる.いよいよ会津を舞台にした悲しい戦いがはじまる.来週は白虎隊のようだ.
薩長土肥への恨みがますます強くなる... この無念や憤りを日常生活や仕事関係に持ち込むのは大人気ないが,会津戦争が終わるまで私は多分鬼のような形相だろう.
2013/06/14(金)
ある学年の授業で(レポートに対するコメントとして)学生に与えたメッセージを抜粋して示す.
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君は科学の歴史,科学の現状,科学の奥深さなどをほとんど知らないと思う(小中高の「理科」の範囲を部分的に知っているに過ぎない).しかし,君は科学の末端を担う人財になることを強く期待されているので※,科学を他人事ではなく自分の中心課題であると認識しなければならない.もし「科学は科学者のものであって自分にはあまり関係がない」,「自分は教師になるので科学者に頑張ってもらいたい」と思っているなら,意識の大転換が必要だ.教師が科学の本質を知らずにして,児童・生徒に科学を語ることができるだろうか?
※ 私は君に「教師になってほしい」「教師にしかなれない」と言っているのではない.研究者,学芸員,一般公務員,科学コミュニケーター,企業研究所など,諸君の選択肢は多岐にわたる.愛教大地学の卒業生には,大学教員になった人,大手石油会社の研究員になった人,地方自治体(役所)で地域振興や建設に関わっている人など,いろいろな人がいる.また,一言で教師と言っても小・中・高では非常に大きな違いがある.高校では地学を教えられる教師が切望されている.諸君の前途は明るいが,「君,本当に地学を出たの?」と言われてしまうような「残念な人」にはなりたくないね.
2013/06/13(木)
AGUの論文をダウンロードできず困っている.Multichoice 40(40編まで論文を閲覧・ダウンロードできる)を購入したはずだが,どうやっても論文を見ることができない.頭に来たのでAGUのサービス担当に問題を伝えるメールを出した.そうしたら,「まずWileyのサイトに行き,あなたのメールアドレスとパスワードを入力.すると画面右上にあなたの氏名が出るので...」という初心者ガイドのような長いメールが返ってきた.そんなことを聞いているんじゃない! イライラ.
昨年まで(Wileyと組む以前は)こんな問題が起こったことはなかったので,Wiley側に問題があるのではないかと察している.そういえば今日,ある外国人から「Island
Arcに出たばかりのあなたの論文を送ってほしい.うちの大学の図書館(ハワイ)はIsland
Arcのサブスクリプションをやめちゃったので」というメールが来たのだが,このメールを見て初めて自分の論文がEarly
Viewのステージに移行したのを知った.Wileyから何の連絡もないぞ! どうなってんだ.
2013/06/12(水)
「コレコレについて承認していただけますか?」という問いかけに対して「はい,承認させていただきます」という返事.明らかにおかしい.なぜ「させていただく」なのだろう? 「はい,承認いたします」でいいではないか.「させていただく」の氾濫については以前書いたが,ほぼ毎日,会話やメールでこの表現に触れるたびに強い違和感を抱く.
日本語表現についてもう一つ.学生の会話で最近「心が折れる」という表現を耳にすることが多い.一体どういう意味なのだろう? 落ち込む,めげる,しょげる,などと同じような意味だろうか? 会話を聞いていると,どうでもいいようなことで「心が折れるわー」などと言っている.先日の学生巡検でも,ハンマーでなかなか岩石を割ることができない学生が「心折れるー!」などと喚いていた.心が折れてもいいけど下手な使い方でハンマーを折るな,と言ってやった.頻繁に耳にするので,些細なことでも使いたがる流行り言葉なのだろう.「折れる」程度はあまり関係ないのだろうか? ちょっとめげた感じでも「折れる」,引きこもりに至ってしまうような深刻な場合でも「折れる」ということか? 安っぽい言葉だ.
2013/06/05(水)
午前中は家でレポート採点・添削.午後は名古屋の中学校で教育実習生の指導(連絡指導教員として).夕方以降は大学でレポート採点・添削.
レポート地獄.自分で自分の首を締めているような感じが...
今日も論文執筆ができなかった.
2013/06/04(火)
論文執筆に集中していたため,学生レポートがたまってしまった.これらを採点・添削しなければならない.今日は論文執筆を中断し,レポートの作業を行なっている.
それにしても,ある学年の,一部の学生の日本語の乱れ,筆記能力の低さに愕然としている.誤字・脱字は当たり前.一度聞いただけの用語を調べもせずにそのまま(しかも誤って)書いている.自分で書いたレポートを読み返してもいない.しかし,誤字はまだかわいいもので,日本語になっておらず意味不明文のオンパレードを見ると机に突っ伏したくなる.こうならないように(これまでの経験から十分に予想できたので),事前に「昨年のレポートに対するコメント」という文書を配布し,それによく目を通してからレポートを書くように指示したのだが,読んでいないのか,読んだが力不足のために正しく書けないのか... よくわからない.
一方,初年次演習で課した『科学の限界』レポートは,たいへんよく書かれたものが多く,読んでいて楽しかった.もちろん内容に疑問を感じたレポートもあるが,自分でまだ科学をやったことのない学生たちなので仕方がない.「本を読ませ」「科学とは何かを考えさせ」「自分の考えを長い文書にまとめさせる」という趣旨はほぼ達成できたのではないかと思っている.
学年によって「できる・できない」に大きな差があるのは本学理科では珍しいことではない.しかし,曲がりなりにも(失礼!)本学の入試を突破したのだから,「書けない学生」でも「受験学力」は日本の同学年の平均程度かそれよりも高かったはずである.理科や数学の知識レベルはそこそこ高いが,日本語力と論理的思考力は児童の域を出ていない,ということなのだろう.
だいぶ前から指摘されているように,小中高そして家庭での教育の乱れのツケがすべて大学にまわっている.大学でこの日本語の乱れが劇的に改善される,改善されなければならない,と思ってほしくない.もちろんできる範囲で改善させる努力をするのだが,劇的に改善させようとするとそれだけで大学教育が終わってしまいそうだ.
政権政党は小学校で英語教育を正課とし,より早期から教育を始めるという方針を示している.何をか言わんやだ.まずは母国語である.母国語である日本語をしっかり鍛える必要がある.「読み書き」がすべての基本である.日本語,英語とも中途半端な読み書きしかできない日本人より,英語は不得意だが日本語はきちんと使いこなせる日本人のほうが良いに決まっている.日本語をきちんと使いこなせる日本人は,英語もそこそこできるようになるものである.「日本語の文章をきちんと読ませる・きちんと書かせる」ことの重要さを学校関係者はもちろん保護者も強く認識し,それを実行することが,いま本当に必要なのだと切に感じている.
2013/06/02(日)
久々の休日.何となく学生レポートを自宅に持ってきてしまったが,今回はしっかり休むことを決意し,全然手を付けなかった.2日間しっかり休息が取れた.久々に家族でドライブに出かけた.こういうスローな時間が何よりも大切であるとあらためて感じた.明日からまた研究に精を出せる.
明日は院生と一緒に論文原稿の仕上げ作業を行ない,できれば明日中に投稿したい.短いデータ報告論文だが,それでも当該地域の地質学を発展させるための重要な一歩である.
2013/06/03(月)
MINTIAという,FRISKに似たタブレット菓子がある.最近(と言っても1ヶ月以上経つが)これにはまってしまった.中毒かもしれない.毎日コンビニで購入するのは面倒だし高価でもあるので,とうとう楽天で大量まとめ買いをしてしまった.これで2ヶ月くらいはもつだろう.
ネットで調べたら,中毒患者?は世の中に多数いるようだ.妙な安心感を得た.
2013/05/27(月)
地質学会関係の仕事や会議,連合大会,野外実習などが立て込んだため,なかなか論文書きモードになれなかったが,やっと少し落ち着いたためか「書くぞ!」という気になってきた.一気に書いてしまおう.
国立大学教員に年俸制を導入する方向で今後検討が進められるらしい.詳細は不明だが,イメージとしてはプロ野球選手のようなものか.単年度成果に基づき年俸が決定されるなら,いよいよ国立大の基礎研究と教育は崩壊する.学問の底辺は名もない大多数の研究者による地道な基礎研究と教育によって支えられている.研究も教育もすぐに結果が出ない.研究は成功よりも失敗や予想外の結果のほうが多い(論文にならない失敗や予想外から思わぬ芽が出ることが多い).個人でコツコツと研究している研究者は論文を出せない年もある.地方大学の教員は授業や地域貢献活動が年々増加し,研究に使える時間は減少の一途である.それでも,馬力のある教員や研究者は家庭の時間や睡眠時間を削って研究・教育に励んでいる.公務員給与の削減/抑制に連動して国立大教員/研究者の給与も全然増えていないのに! 文科省や自民党の文書には,若手の雇用推進や研究活性化など聞こえの良い建前が並んでいる.しかし結局のところ本当の狙いが総人件費削減であることは誰の目にも明らかである.
給与や待遇の悪化によって精神や日常生活が悪くなると,良い研究・教育は期待できない.研究成果や研究アクティビティに応じて科研費等の競争的研究費の多少が決まるのは当然だと思うが,生活に直結する給与を不安定にするような施策は容認できない.
2013/05/17(金) <出張先にて>
論文書きに勤しもうと思って連合大会の発表準備(スライドとポスターの作成)を早々に終わらせたのだが,どうもやる気が出ない(苦笑).ガーッと論文書くぞ! という元気が出ない...そんな状態でダラダラと研究室にいても意味がないので,今日は珍しく夕方の新幹線で東京へ移動(いつも移動は夜).明日,地質学会の総会と理事会があるのである.今夜はゆっくり風呂に入り,ビールを楽しみ,明日からの2週間ぶっ続けの仕事(休日返上)のために休息をとるつもり.
学会や学生の卒論発表会で,「それでは発表させていただきます」という表現をよく耳にする.別にこちらから発表をお願いしたわけでもないのに「...させていただく」と言われるのは妙な感じである.前々からずっと気になっていたが,今週読んだ『勘違いの日本語,伝わらない日本語』(北原保雄,宝島社新書)に同様の指摘があった.この本には,この表現のほかにもおかしな日本語表現が多数紹介されている.たいへん勉強になった.敬語の使用にいまいち自信がなかったのだが,いくつかの誤解・誤用に気づくことができたので,今後はちょっぴり上手に使えるのではないかと思っている.
2013/05/14(火)
先週,大学生協の本屋に山積みになっていた『教室に雨は降らない』(伊岡 瞬,角川文庫)という文庫本が少し気になった.通勤時に読んでいた本がそろそろ終わりそうだったので,次の本ということで購入.そして週末から昨日にかけて一気に読んだ.この作家の本は初めて読んだが,帯に書かれている「びっくりするほどうまい」という紹介文は決して大袈裟ではない.「森島先生,頑張れよ」と応援したくなるような,そして自分も少し高揚するような読了感が残った本である.
その前に読んでいた本が,米倉涼子ということで観はじめた「35歳の高校生」で気になり始めた『教室内(スクール)カースト』(鈴木 翔・本田由紀,光文社新書)で,いろいろな意味で学校教育界を蹴飛ばしたくなるような気持ちになった.明らかにサンプル数(インタビューイ)が少なく,特に教師の実像にどこまで迫ることができているのか疑問である.この本に登場する中学・高校教師は,きっと母集団(教師集団)の性状を正しく表していない.それでもこの問題(スクールカースト)に初めて本腰を入れて取り組んだオリジナリティは高く評価でき,この問題の先行研究として,この本は今後しばらく注目されるだろう.
それにしてもスクールカーストは実際にはどの程度広まっているのだろう? 先日,名古屋の高校教師に尋ねたところ,そんな(スクールカースト)問題は(自分の高校では)ないですよー,という回答であった.著者も指摘しているように,その実体解明は今後の課題なのだろう.
何だかんだ言ってこの手の本につい手を伸ばしてしまう自分を再認識している...
2013/05/10(金)
ブラジル沖の大西洋の海底で花崗岩の存在が確認されたという.花崗岩は大陸地殻に特有の岩石であるため,伝説のアトランティス大陸がついに発見されたのではないか? と一部のメディアが煽り立てているようだ.大多数の報道記事はアトランティスではないことを伝えているが,それでも(読者の興味を引くために)アトランティスに関連づけた報道がほとんどである.
花崗岩は大陸地殻に特有の岩石である.地球の地殻は大きく分けて海洋地殻と大陸地殻に分類される.海洋地殻はその名の通り海洋底に横たわる地殻の大部分を構成しており,主に玄武岩や斑れい岩といったマフィックな(MgやFeに富む)岩石からなる.海洋地殻の岩石は,地球の体積の約8割を占めるマントルの岩石が中央海嶺の地下で部分的に溶融してマグマが生じ,そのマグマが冷え固まってできる.大陸地殻は陸(大陸や島弧など)を構成する地殻の大部分をなしており,化学組成の点では中間質やフェルシックな(MgやFeにあまり富まない,SiO2に富む)岩石からなる.花崗岩の形成を論じるのは大変なのでここでは避けるが,マントル岩石の部分溶融によって直接的に花崗岩質マグマが生じるとは考えられていない.つまり,中央海嶺における火成作用で花崗岩が生じるとは考えられない.よって,中央海嶺での海洋底拡大によって形成された大西洋に花崗岩からなる海底が存在するというのは,確かに興味深い発見である.
海洋底の地形図を見ると,ブラジル沖に巨大な高まり(水深が比較的浅い領域)があることに気づく.今回の花崗岩はこの高まりで発見された.大洋底の巨大な高まりの成因として考えられるのは大きく2つの場合であろう.1つは,玄武岩質岩石が周囲よりも大量に(厚く)存在するために,アイソスタシーによってその部分が浅くなっている場合である.これは海台と呼ばれる.もう1つは,大陸地殻が分裂して複数の陸塊に分かれるとき,何らかの理由でそれらの間に引き延ばされた大陸地殻の塊(stretched
continental crust)が残ってしまった場合である.日本海の真ん中には大和堆と呼ばれる高まりがあるが,実はこれが後者の例である.ブラジル沖の高まりは大和堆のようなstretched
continental crustである可能性が高い(規模は大和堆よりも大きいが).そうだとすると,大西洋の海洋底拡大に関連して生じたものであるから,タイムスケールとしては数千万年前かもっと古いことになり,わずか1万年前頃に何らかの理由で水没したという伝説のアトランティス大陸では決してないはずである.
2013/05/08(水)
私の身近では最近,「覚えていない」という話題で盛り上がることが多い.ある学生がその話題の中心になることが多いのだが,講義だけでなく,巡検に行ったりレポートを書いたりしたことも覚えていないことがあるらしい.笑いの種としては面白いが,授業を通じて専門知識やスキルを習得させ,その到達度を見て単位を授与する立場としては,笑って済ませることのできない問題である.
人は,学んだことを長期にわたってすべて覚えているのではなく,時間の経過とともに徐々に忘れてしまう.その忘却の程度(単位時間にどの程度忘れるか)は,時間の経過とともに小さくなる,言い換えれば,早い段階ほど忘れる程度が大きい.放射性核種が放射壊変によって時間の経過とともに減少する曲線に似ている.これは忘却曲線と呼ばれる.忘れることは不可避である.できるだけ忘れないようにするための術として代表的なのは「復習」である.復習することで知識量を忘却曲線のスタート時点に戻すことができる.また,復習することで忘却の程度(割合)を小さくすることができる.すなわち,放射壊変の言葉を借りれば,半減期のようなものをより長くすることができるらしい(忘れない=知識の定着).
それでは,巡検に行ったことやレポートを書いたことを学生が覚えていないという事実は,この文脈においてどのように理解することができるだろう? 一つの可能性は,その学生が忘れっぽいということである.つまり,その学生の忘却曲線が一般的な人の忘却曲線よりも急傾斜である(半減期のようなものが短い)という可能性である.要するに「学生の側に原因がある」という見方であるが,これは少し乱暴な見方かもしれない.なぜならば,学生は本学理科に入学できるほどの頭を持っており(俗な言い方をすれば,頭が悪いわけでない),少なくとも私が授業を通じて観察した限りにおいては,本学理科の平均的な学力レベルよりも低いわけではなさそうである.
そうなると,別の可能性を考える必要がある.つまり,もう読者はお気づきだと思うが,「教える側に原因がある」という見方である.具体的には,
1)教え方(授業展開,話し方,メリハリなど)が下手なために学生の知識が定着しない
2)教えた後のケア(個別指導,レポート課題,期末試験など)が適切ではないために知識が定着しない
3)教えた知識やスキルが自然科学においてどのように重要なのか,面白いのかを学生にじゅうぶん理解させることができなかったために,知識が定着しない
という可能性を疑う必要がある.
今日は時間がなくなったのでここまでにするが,実は私はとんでもない教授錯覚(しっかり教えたので学生はきちんと理解しているはず,知識の蓄積ができているはずだ,という思い込み)の持ち主なのかもしれない...
2013/05/07(火)
前日までの旅行報告書の作成と今度の出張書類(多数!)の作成,科研費報告書類の修正,ゼミ,学生指導,学会の仕事,その他諸々で今日は終了.「仕事したぞ感」がない...
2013/05/06(月)<主張先にて>
予定していた調査は昨日までにほぼ終了した.メインルートの地質構造はほぼ掌握できた.メインルート周辺のサブ的なルートも露頭位置と構造がだいたいわかった.これで夏以降のサンプリングを効率的に行なうことができる.学生は本当に頑張った.体力的に辛かったと思うが,私の前では一言も愚痴を言わずについてきた.根性のある学生である.
山奥の秩父帯分布域に温かい泉があるらしいという情報をゲット.その実体を調べ,地学的な意味を考察するために,最終日である今日はその探索に出かけるつもり.非常に楽しみである(笑).
2013/05/03(金)<主張先にて>
地質調査は順調に進んでいる.学生を置いていかないように(私としては)スローペースで歩いているが,地層がほぼ直立しており少し歩くと岩相の異なる地層が出るため,たいへん面白い.しかし,薄い砂岩単層がブーディン構造を示したり頁岩にスレート劈開のような割れ目が発達していたりして,「これ,本当に中新統か?」と思わず独り言.付加体ではない,いわゆる正常層としては,日本でもっとも変形を受けている中新統であろう.
学生は体力的にも記載的にも(露頭位置や記載を間違ったりして)苦労しているようだが,最初はそんなものである.最初からパーフェクトにできる人はいない.間違いをしながら徐々に上手に記載できるようになるのである.自然の記載の仕方,これも勉強のうちである.私も決して上手だと言えないが,私の調査と記載の方法を盗み取って,少しでも上達してほしい.
2013/05/01(水)<出張先にて>
卒論生と一緒に東京都西部のフィールド近郊に来ている.「近郊」というのは,調査地域外の某市安宿に滞在中ということ.今日はマップを入手するために近くの図書館に行ったが,予想通り良質のマップは入手できなかった.東京都の2500分の1地形図をゲットするには面倒な手続きが必要とのこと.今回はネットで入手した5000分の1を使用する.どうしても大縮尺地図が必要になったらゼンリン住宅地図を使用するつもり.
夕食は景気付けに居酒屋へGo! と思ったら,学生が飲めないことがわかり,名古屋お馴染みのカレー屋へ(笑).景気付けにカツカレー・野菜トッピングの大盛り+野菜サラダを食す.カレー屋で1食1000円以上使ったのは初めてだ.胃が熱い.
私はいまの4年生に「恐い」と思われているらしい...実に衝撃的な話である.こんなに心優しい,学生思いの,鬼のような,ではなく仏のような大学教員はいないではないか! 今度,飲み会でも開いて,この大いなる誤解を解いてやりたい.
2013/04/30(火)
明日から4年生のフィールドに6日間! 天気予報はまずまず.地層の露出状況がやや心配だが,おもしろい結果を夢見て頑張りたい,というか学生に頑張ってもらいたい.フィールドがあまり広くなく,電車も通っているところなので,今回は電車とタクシーで移動を試みる.レンタカーを借りるよりも安く上がると見込む.
「35歳の高校生」という,設定にかなり無理のあるドラマがなかなかおもしろい(笑).いまの学校現場で注目されているさまざまな問題を取り上げているドラマだ.スクールカーストというのは実際にはどの程度蔓延しているのだろう? 学生に聞いてみたいところだが,もしその学生が高校時代にスクールカーストで2軍,3軍で嫌な体験をしていたらマズイ.ところで米倉涼子は35歳だったかな? もう少し上のような...
「ガリレオ」も始まった.以前に比べて少し安っぽい感じがするが,それでも十分に楽しめる.夏には映画もあるようだ.楽しみである.
2013/04/26(金)
いよいよフィールド実習授業が本格化してきて(毎週末!),卒論生のフィールド指導も本格化してきて,自由に使える(=落ち着いて論文書きに使える)時間が少なくなってきた.学外の仕事もこの時期は負担が大きい.毎年この時期はこうなので慣れっこだが,いよいよまた怒濤の日常が始まるかと思うと少し憂鬱になる.
明日(土)は1年のフィールドワーク.新入生は良くも悪くも次第に大学に慣れてきて,サボりや手抜きの悪知恵もついてくる頃.レポートが大変なので,他分野学生は履修放棄も考えるかもしれない.しかし,ここで放棄すると絶対にもったいないし,「辛い=放棄」「他分野=関係ない」という悪弊がついてしまう.辛抱して最後まで頑張ってほしい.
来週月曜は知多半島で2年のフィールド実習.柱状図作成やクリノメーターでの走向傾斜計測で,学ぶほうも指導するほうも大変な実習だ.
水曜からは5泊6日で学生のフィールド指導.世の中は休日だが,そんなことは言っていられない.今回は車を使わず,すべて(フィールド内の移動も)電車とタクシーを使う.どうなることやら.
2013/04/22(月)
IAGA (International
Association of Geomagnetism and Aeronomy)の国際会議が8月下旬にメキシコ・ユカタン半島のよく分からない場所(まだ全然調べていない)で開催される.8月はフィールドシーズンど真ん中で,地質調査の貴重な時期なので迷ったのだが,滅多に行くことのできないところなので,思いきって行くことにした.今日(現地時間4/21)がアブスト提出期日なので,先ほど大急ぎでアブストを書いてサブミット! さて,どんなところか,2nd
circularをよく見てみよう.順番が逆だが(苦笑).
今年は
7月 … サンフランシスコ&米国中西部パート1
8月 … メキシコ
9月 … 米国中西部パート2
12月 … (たぶん)恒例のサンフランシスコ(AGU Fall Meeting)
北米・中米ばかりだ...
2013/04/21(日)
会津は桜が満開の頃だと思う.「八重の桜」効果で今年は大いに盛り上がっているに違いない.満開の桜に鶴ヶ城という組み合わせは,磐梯山と並んで会津のもっとも美しい風景の一つであり,故郷のシンボリックな景色でもある.少なくとも私はそう思う.戊辰後,荒れ果てた郭内に桜を植樹した方がいて,その方の努力のおかげで今のような美しい桜があるという石碑を鶴ヶ城公園で見た記憶がある.寒波到来でせっかくの桜も少し散ってしまったかもしれない。
ゴールデンウィークは会津に帰りたいと思っていたが,結局,学生と一緒にフィールドに行くことになった.会津に帰れるのは今年も8月になりそうだ.
「八重の桜」はこれからいよいよ動乱の維新,そして戊辰の役に突入していく.本日の放送では慶喜の二枚舌,容保に対する孝明帝の思い,そしてその孝明帝の突然の崩御が扱われた.中野竹子も出てきた.いよいよ,である.
2013/04/14(日)
昨日早朝.携帯電話のアラームをいつも目覚まし時計として使っているのだが,この携帯がいつもと違う音を出していることを夢の中で「…?…?」と思ってムニャムニャしていたら,自宅の目の前の広幡小学校から何か放送されていることを認識し始めた.運動会のときのような大音量で何やら言っている.寝ぼけ頭で訳が分からず,半目で携帯を開いてみたら「緊急地震速報」とある.ハッと目が覚めた.地震が来る! 小学校の自動放送は「10, 9,
8...」とカウントダウンを始めた! 布団の中で身構えた.「3, 2...」と鳴ったところでグラグラ揺れ出した.来た! 感動.しかし,揺れはそれほど大きくなく,長くもなく,少し拍子抜け.布団から飛び出してリビングのテレビをつけた.関西だ.淡路島.驚く.兵庫県南部地震の余震か? 震度6弱と出ている.しかし震源の×印が野島断層よりも南側にプロットされている.でも多分余震だ.6弱なら壊滅的な被害は出ていないだろう.このあたり(愛知県西部)は震度2となっている.確かにその程度だった.さて,もう一眠り,ということで布団に戻った.
それにしても,緊急地震速報は現代地震学の知識と科学技術(特に情報処理)を最大限に活用した,たいへん優れた防災情報サービスである.地震襲来をカウントダウンできるのである! もちろん,初期微動(P波による揺れ)をキャッチして主要動(S波による揺れ)の襲来を予測する技術であるゆえ,情報処理と伝達の都合から震源近くで間に合わないことは原理的に仕方のないことである.それを新聞は「震源近くでは間に合わず」などと書くが,単に原理を知らないだけなのか,それとも何か意図があるのか知らないが(もっと情報処理・伝達を早くしてほしいという希望的なメッセージだと思いたい),このアラートのために多くの国民が揺れの発生を事前に知ることができるのは素晴らしいことである.
家の目の前に学校があると,何も用意がなくとも緊急地震速報のカウントダウンを聞くことができる.ほんの少し得した気分.
2013/04/12(金)
今期最初の授業が来週月曜から始まる。と言ってもオムニバス型式の授業で,私の担当はわずか3回しかない。新入生対象の授業である。入学直後でやる気に燃えているだろうから,下手な授業はしてはならない。いきなりガツンとやってやりたい。とはいえ,気負いすぎると空回りするので,資料を少なめにして,余裕を持った進行を心がけたい。
高校までの授業と受験勉強で「物理」「化学」「生物」という科目分けに慣れ切った学生たち,要素還元主義でうまくいった内容(分野)だけしか学んでいない学生たち,もしかしたら「科学は万能」「科学がますます進めば森羅万象のすべてがわかる」と思っているかもしれない学生たち,そんな学生たちに「科学とは何か」を考えてもらいたい。来週の授業では池内 了氏の『科学の限界』を扱ってみたい。地学とは何か?を考えてもらう授業だが,『科学の限界』はそれを考えるうえで良好な書籍だと思う。暇さえあればスマホをいじる(スマホにいじられる)ことしか知らない学生たちに少しでも読書をさせたいという気持ちもある。読書感想文でも書かせようか。
大学時代,原田憲一先生の「層位学」という授業はひどいものであった(苦笑)。層位学の内容は最後の2,3回しか扱われず,ほとんどの時間は文明論や人物論など,およそ層位学とは関係のない内容の独演会であった。書籍を指定されて感想文の提出もさせられた。梅棹忠夫,今西錦司,佐高 信などを読まされた(もっと読んだはずだが,忘れた)。当時は苦痛以外の何者でもなかった。しかし,今思ってみると,あのような授業こそ大学での本当の学びなのではないか。リベラル・アーツ(liberal
arts)である。
2013/04/11(木)
前期は担当授業が比較的少ない.研究に充てる時間がある.前期にどれだけ論文を執筆・投稿できるかがその年度の業績?のポイントになる.今週末に1本執筆を終わらせ,来週から別の論文の執筆に取りかかる予定.
先週は新4年の卒論生と一緒に三重のフィールドで地質調査をした.久々のフィールドワークだったので,砕屑物を指先で揉む感触を確かめながら,かなり丁寧に川を歩いた.学生は本格的な地質調査は初めてだが,私の踏査ペースについてきた.大抵,時間とともに私との距離が開いて,私がイライラして「おーい! 早く来ーい!」と怒鳴りつけるのだが,この学生は基礎体力があるのだろう,大したものである.今後期待できる学生である.授業中に寝てしまう習慣を改善できたら素晴らしいのだが...
先の日曜に暴風の中で採取したサンプルの残留磁化測定を行っている.パイロットサンプルの段階交流消磁と段階熱消磁が今日終了したが,どうも良くない.多くの協力者のサポートを受けて採取したサンプルなので,おもしろい結果が出てほしいと願っているのだが,自然はそう簡単には答えを与えてくれない.これもやがて来る喜びへの試練だと思って,粘り強く測定に励みたい.
というように,4月に入ってから研究モードが続いている.頭は冴えている.余計な雑用を極力減らして研究に邁進したい.
2013/03/31(日)
昨夜,栄の芸術劇場で行なわれた布袋寅泰のコンサートに行った.私がチケットをとったのではなく,,,これは書くと長くなるので避けるが,私とイツキ(笑)の親子で見に行ったということ.ホテイのコンサートなので雰囲気はやっぱりすごいわけで...イツキは最初戸惑ったような様子だったが,終盤の盛り上がりになると座席に膝立ちで片手を振り上げてヤーヤーやっていた.小学2年でもやはりノリノリになることを知った.私も楽しかった.蟹江のばあばに感謝しなくてはならない.
若い頃は仙台でしょっちゅうコンサートに行って,飛び跳ねて大汗かいて日頃のストレス?を発散していたものだ(いや,むしろ院生生活のモヤモヤを吹き飛ばすために充電に行っていたような感じだった).今こそ充電が必要かもしれない.学生時代に戻ったつもりでホールで大暴れするのも悪くない.学生には決して見られたくないが(苦笑).
2013/03/29(金)
アルバイトや教育活動に勤しむ学生への雑感
大学生と言えば昔からバイトである.本学でもかなり多くの学生がバイトをしているはずだ.バイトをしないといけない,という雰囲気が学生の中にあるようにも見える.週に1,2回家庭教師をする程度の学生もいれば,ほぼ毎日何時間も働いて月に10万円以上稼ぐ学生もいる.私も学生時代(特に学部低学年のとき)にはバイトに精を出した.山形のオーヌマホテル(すでに廃業)のフロントで働いた.夜5時間程度の働きに加えて,1週間に1,2回は夜勤(泊まりがけのフロント業務をした.稼ぎは月平均5,6万だっただろうか(今と比べて時給がかなり安かった).実家からの仕送りと育英会奨学金,それにこのバイト代で授業料,アパート家賃,車とバイクの維持費,交際費(主に遊び代),生活費(光熱費,食費その他)を捻出した.しかし,今振り返ると,接客を通じたコミュニケーション力の強化には役立ったかもしれないが,それ以上のことはなかったと思う.大切な時間をバイトでかなり浪費してしまったと思う.夜勤で夕食と朝食が出たのは助かったが.
本学では近年,バイトに加えて小・中学校でのボランティアや理科支援員,教師塾といった活動が少なからぬ学生の日常生活の一部になっているようだ.私は学生時代にそのような活動をしたことがないのでよくわからないが,おそらく学校で授業の準備を手伝ったり,授業中に児童・生徒の机間指導を手伝ったり,資料整理を手伝ったり,授業を観察したりするのだろう.私のまわりでも「その日は小学校なのでちょっと...」と言ってゼミや測定等の日時決定に待ったをかける学生がいる.力の入れ方は学生によって当然異なるだろうが,ひどい学生になるとゼミや卒業研究よりもそちらの活動のほうが本務であるかのように思っている節がある.さすがに後ろめたいのか,「体調が...」「家の事情で...」と嘘をつくこともある.かわいいではないか(笑).
さすがにバイトを奨励する教員はあまりいないようだが(というか,いないと信じたい),本学の教職員の中には「教育」と名のつく活動を奨励する人がいるらしい.教師を目指す学生にとって良い経験になる,と考えるのだろう.将来教職に就きたいと思っている学生は,授業で鉱物の相転移や残留磁化獲得機構の小難しい話を聞くよりも,実際の教育現場(家庭教師先や学校など)に出るほうが絶対に良い経験になると思うのかもしれない.確かに,そのような経験は悪くはないだろう.暇を持て余してスマホでLINEやfacebookに明け暮れるよりは,やったほうがいいかもしれない.
しかし,やり過ぎはいけない.そういう活動がゼミや研究を上回ってしまうようになるのは,教育大学の学生であっても正常な姿とは言えない.
学生時代に真にやるべきことはバイトなのだろうか? 真にやるべきことは教育活動なのだろうか? 私はそう思わない.長くもあり短くもある人生において「学生時代にしかできないことは何か」を真剣に考えると,バイトや教育活動は明らかに違うように思う.例えば将来教職に就きたい学生は,教職に就いたらその後40年(あるいはそれ以上)教育活動ができるのである.その中で実にたくさんの子どもや生徒と触れ合い,責任ある立場で教科を教え,大小の失敗を重ねて反省を繰り返しながら教師として人間として亀のあゆみの如く成長していくのである.そのような長い見通しを持って考えるべきである.大学時代に教師のまねごとに精を出すことに果たしてどれほどの意味があるのだろうか?
本学では「専門を第一にガツガツ学べ,研究せよ」と学生に言う教員が少ないような印象を受けるが,私は声を大にして「専門をガツガツ学べ,研究せよ」と言いたい.自分の専門を追求してほしい.「小学校では全教科を教える必要があるから...」という理由で,専門を重視する気分が本学では好まれない印象を私は感じているが,小学校教師を目指す学生であっても専門を最重視すべきであると私は考える.専門の極みに少しでも近づくために必死になって学び,悩み,苦しみ,落ち込み,ひらめき,感動するという精神的営みを経ることによって,専門の知識と技術だけでなく,学問に対する真摯な態度と謙虚さが自然に養われると考える.それは人知を後世に伝える役目を担う教師に絶対に不可欠である.自分の専門を追求しようと必至になって努力することこそ,大学時代に真にやるべきことである.なお,全教科の基礎や児童心理,教育法など教職に関係する授業が数多く開講され,それを修得しないといけないが,それは当然のことである.私が言いたいのは,その当然の学びと平行して,自分の専門を追求する努力をしてほしいということである.このように考えると,とても日々バイトや教育活動に精を出す余裕などないはずである.バイトや教育活動は単に表面上の経験として少しだけかじってみればそれで十分である.
教育関係者(現場の教師や大学教員を含む)の中には,学生に教育ボランティア等への参加を勧める人がいる.多くの学生はそのような「勧め」に魅力を感じ,乗ってしまう.しかし,そのような教育関係者は学生に何を期待しているのだろう? 学生に将来,どのような教師になってほしいと思っているのだろう? 純粋に学生と日本の教育の将来を思って勧めているだろうか? 某市の理科支援員に積極的に応募するように学生に勧めていた教員がいたが,本当に学生のためを思って学生に勧めていたのだろうか? 学術や教育から大きく離れた理由で勧誘が行なわれていることはないだろうか?
私が会津若松市立城北小学校5,6年の時の担任だった大内善寿先生は,黒ぶち眼鏡をかけていかにもまじめそうな風貌で,何となく孤立した感じのする先生であった.先生のご専門を実は存じないが,私の中では大内先生=理科だと勝手に思っている.授業の内容を細かく覚えていないが,理科準備室で何かやっている,真剣な顔でいつも理科の実験をしている,自分の知らない何かをやっている,と思ったものである.知らぬうちにそんな先生を尊敬したのだと思う.ある日,過酸化水素水と二酸化マンガンを反応させて酸素を発生させる実験で,私と友達は先生から指示された量よりもかなり多くの二酸化マンガンを過酸化水素水に入れてしまい(単に好奇心だったと思う),どういう過程で起こったのか知らないがフラスコが破裂してしまった.破裂音を聞いて先生がすっ飛んできて,私と友達は大目玉をくらった.今でもよく覚えている.先生=理科,という印象が私の中で決定的になった瞬間だったと思う.その先生は,質問に対して素晴らしい回答をした子どもに歩み寄り,おもむろに手を差し出して握手するというパフォーマンスをしてくれた.私はそれがとても嬉しくて,先生との握手を期待して発言しようとしていたように思う.それまでどちらかというと内気だった私は,先生によって変わったのだろうと思っている.アカデミアの道に進めたのも,多分に先生の影響を受けたためではないかと思っている.
2013/03/28(木)
さきほど気になるニュースが飛び込んできた.NHK昼のニュースではトップ扱いであった.立川断層の断層面「誤認」に関するニュースである.
人工的な構造を誤って断層面だと誤認してしまった,しかも(写真を見る限り)白っぽいのが点々と縦に並んでいるように見えるので,縦ずれではこうはならないので横ずれ成分があると判断してしまった,ということなのだろうか? この「白っぽいもの」は実はコンクリート(!)だったらしい.コンクリートを断層ガウジ(断層運動によって岩石が壊されてできた,粘土や岩石の破片からなる物質)だと思ったということか? 見学者の指摘で明らかになったとのこと.このトレンチ壁面の調査者の信じがたい大ミスである.その誤りを見破れなかった(そして先月公表してしまった)関係者集団の大失態でもある.まるで学生実習での間違いのようだ.そこに活断層があるに違いないと期待して掘ってみたら,確かにヘンな構造が見つかった,それを期待した断層面が見つかったと思って...ということなのだろう.確証バイアスとか同調バイアスと呼ばれる心理効果の典型例だと思われる.
今回の問題は「(露頭を誤認した結果)横ずれ成分があるようだ,だから横ずれを想定して被害予想を再検討する必要がある」と考えてしまったという間違いである.立川断層帯が活断層であるという従来の見解は何一つ変わっていないことに注意する必要があるし,関係者はこれを強調する必要がある.このことをメディアがきちんと理解し,正しく国民に伝えるかどうかが注目すべきポイントだと思う.明日の朝刊でメディアの地学リテラシーを確認できるだろう.
地質学の露頭調査は,全く無心の心で目の前の地層や断層を観察・評価することが不可能である.多かれ少なかれ確証バイアスが作用するのだが,我が国を代表する地質学研究者を含む多数の研究者集団の中でこれが起こった,ということだ.科学とは何か,を考える上でも興味�[い事例だと思う.
2013/03/26(火)
昨年の中央道笹子トンネル事故の際にコンクリートの劣化が改めて問題視されたが,私もコンクリートに興味を持ったので,小林一輔氏(故人)の『コンクリートが危ない』という新書を読んでみた.コンクリートはひび割れ,溶解などが当たり前だと思っていた(日常的に目にするので).しかし本来コンクリートは100年以上安定な物質であり,コンクリートの早期劣化は不適切な骨材(砂利や砂)の使用,不適切な加水,手抜き工事などの人為的原因によって起こることが理解できた.アルカリ骨材反応という現象を初めて知った.さすがに海砂はマズイというのはわかるが,岩石種も関係することは意外であった.山陽新幹線のトンネルでコンクリート片が剥離・落下したというニュースを聞いたことがあるが,その背景がよくわかった.
これは他人事ではない.我が家(マンション),大学の建物など,生活時間のほとんどはコンクリートに囲まれて過ごしている.大学の研究室の壁や床はひび割れだらけで,ひび割れに沿って流体が浸透したと考えられる模様(反応縁)も認められた。設計強度の何%くらいに強度が低下しているのだろう? 通勤で利用する某鉄道の某駅ホームは,コンクリートに無数のひびが生じ,炭酸塩?のツララが多数生じている.雨が降っていないのになぜかひびから滴がポタポタ落ちている.山陽新幹線と同じく高度経済成長期に建設されたことも考慮すると,大地震時にどうなるのかちょっと怖い.
2013/03/21(木)
あと30分以内に論文書きモードに気分を盛り上げて,午前中に一気にディスカッションを書き上げてしまいたい.今日のzakkiはそれに向けてのウォーミングアップのつもり(笑).
先日会津に立ち寄ったときに,久々に鶴ヶ城(若松城)に行った.赤瓦に変わったお城が残雪と青空に映え,大変美しかった.まだ残雪の多い郭内には観光客がたくさん.地元住民ボランティア?のシニアガイドさんたちも忙しそうに観光客を相手にしていた.「八重の桜」効果であることは間違いない.原発事故以来,会津も風評被害や観光客激減のために大きなダメージを受けた.「福島県」というだけで,放射線量の低い会津地方も敬遠されてしまった.地元が敬遠されるというのは実に悲しいことである.今年,会津の良さが再び多くの人に再認識され,従来以上に会津ファンが増えることを切に願う.
2013/03/19(火)
ここ数日,地質学会仙台大会の各種調整・連絡や行事委員会のメール作業などで仕事がブツ切れ状態になって,論文書きがなかなか進まない.この状況は心理的に良くないが,早く片付けて,論文原稿を仕上げたい.
山形大時代の恩師の退職記念祝賀会が催された.この恩師に出会って,人生で初めてアカデミアの雰囲気を感じた.この恩師の指導により,自分で文献を探し,フィールドで作業し,データを取得し,自分で考え,それを形(論文)にするという作業を知ることができた.この恩師の誘いにより,列島では決して知ることができない大陸の雄大な地形・地質を知ることができた.東大地球物理を出て,おそらくご自身では地質図を描いたことがないと思うのだが,地質の本質を理解して自ら学生を海外地質巡検に連れて行くという,希代の人である.先生のあの視野と学識の広さは,先生ご自身の努力が大きいことは当然だと思うが,東大時代の小嶋スクールの影響も多分に大きいのではないかと察している.今回先生から,その小嶋先生の名著である小嶋・小嶋『岩石磁気学』を頂いた.学生時代に先生から借りてコピーした教科書である.バイト先だった(今はなき)オーヌマホテルで,夜中に隠れてコピーしたことを鮮明に覚えている.その思い出の本が今,私のものになった.先生とは今秋にまた一緒に米国に行くことになっている.楽しみである.
2013/03/12(火)
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文庫版8冊)を久々に再読した.私は会津なので土佐郷士の坂本龍馬には複雑な思いがあるのだが,やはり龍馬の生き方・考え方は痛快だし,男子たるもの大志を持って一事を成すという道に非常な刺激を受けるし,それに物語の随所に込められた司馬遼のメッセージにも大いに発奮させられるものがある.
こないだの「八重の桜」は池田屋事変だったが,池田屋事変に至るまでの背景と攘夷,佐幕両方の動きをもう少し丁寧に扱ってほしいというのが正直な感想であった.八重の人生を12月までに描かなければならないので急ぐ必要があるのはわかるのだが... いっそ「八重の桜」を前編(会津落城まで;藤本ひとみの『幕末銃姫伝―京の風 会津の花』と同じ)と後編(戊辰後;同『維新銃姫伝―会津の桜 京都の紅葉』と同じ)の2部構成にして,前編を1年かけて丁寧に描いてほしい.後編は大河ドラマではなく普通の?ドラマでいいから.
2013/03/11(月)
2年前の今日,私は研究室でパソコンに向かって作業をしていた.そのとき揺れを感じた.非常にゆったりした,船に乗っているような揺れが長く続いた.きっと遠くで大きな地震が起こったに違いない! すぐにラジオをつけた.東北地方で大きな地震! アナウンサーが緊迫した声で「津波が来る恐れがあります」「落ち着いて行動してください」と呼びかけている.これはただ事ではない.研究室にテレビがないので,隣の遠西研学生部屋に行ってテレビを見た.NHK仙台放送局だったか,地震時の放送局の様子が映し出されていた.東北の太平洋沖で大地震,「津波が来るに違いない」,そう思った矢先,大津波警報が出た.ヤバい.テレビに釘付けになった.東京のビルで火災! ヘリが実況中継.会津の実家は大丈夫か? 電話した.繋がらない...
テレビは,名取川沿いの平野を這うようにして民家や走行中の車を襲う黒っぽい津波を映し出した.テレビは,大きく盛り上がるようにして宮古の街を襲う津波を映し出した.テレビは,船もコンテナも車も容赦なく流してしまう津波を映し出した.初めて見た.冷静に見た.大津波というのは,こういうものなのか...
夕方,実家からメールが届いた.幸い大丈夫とのこと.ほっとした.返信した.「博幸です.とりあえず無事でよかった.家は傾いていませんか? ドアが開かない,壁にひびが入っているなどの変化があったら,危ないので避難所に行ったほうがいいです.大きな規模の地震なので余震が今後1ヶ月は続きます.余震も震度5クラスがくると思います.余震で家が倒れることが多いです.よく調べて.携帯ラジオと懐中電灯は持っていますか? 携帯電話と充電器は忘れずに持っていてください.」その後,再びメール.「1階も2階もドアがきちんと開け閉めできるかどうか,よくチェックして.きちんと開け閉めできれば家は多分大丈夫.今回の地震は100年に一度の大惨事です.余震が今後しばらく続きます.周辺と連絡を取り合い,不安があれば避難所へ.」この地震が100年に一度ではなく1000年に一度の巨大地震であることは,そのときはわからなかった.
福島第一原発の異常が明らかになってきたのは翌日.「博幸です.状況はどうですか? テレビ見ていますか? 浜通りの福島第一原発がかなりまずい状況のようです.まだよくわかりませんが,もし大規模な爆発・放射能漏れが起こっているならば,これは重大な事態なので,ニュースに注意してください.水道は出ますか? 念のため,水をペットボトルに入れて1週間くらいは生活できるように確保してください.とにかくテレビ・ラジオの情報に注意.」そして,爆発.
もうやめよう.今日は教授会の最中に「その時」を迎えた.黙祷.
2013/03/09(土)
今日はKyokoさんの頑張りが光った一日だった(笑).Kyokoさんは私の代わりに多くの提案を説明してくれた.ときどき「!?」と思う発音もあってヒヤヒヤしたが,それはご愛嬌.Kyokoさんに読んでもらう原稿を半徹夜で作った私も今日は満足.夕食で一人ビールを頂く.
研究者としての私は日本地質学会に育てられたと勝手に思っていて,地質学会の発展を願ってやまないし,会員数が漸減傾向にある現状を大変憂いている.院生時代から地質学雑誌に論文を投稿し,実に多くの研究者に査読の試練を教えられ,それによって論文の書き方も精神面(憤りをぐっと抑えて自分の感情を殺し,論文を通すことに全神経を集中させる)も鍛えられたと思っている.まだまだこれから研究を発展させなければならないのは当然だが,一方で,できる範囲で地質学会の発展に貢献したいとも思っている.少しばかりの恩返しのつもりかな.いまは行事担当という立場なので,学会行事を通して地質学会と地質学の発展を模索している.学会の本質は,研究成果の発表の場を提供することと(主に,ジャーナル発行と学術大会開催),研究者・技術者の交流と情報交換の場を提供することであると私は信じている.本質を磨くことに微力を尽くしたい.
2013/03/08(金)
今日も声が出ない.無理して出そうとすると怪獣の雄叫びのような,とんでもない音が出る(声とは言えない).家内がついにインフルにかかってダウンし,医者に行くというので,私も一緒に行って診てもらった.しかし,当然のことながら特効薬はなく,感冒薬をもらって帰ってきた.
明日の執行理事会では行事関係の大事な報告をする必要がある.明日を逃すと関係者に迷惑をかけてしまうので,這ってでも行くつもり.インフルに感染していないといいが...
昨日「頭で思っていることを音声あるいは文字にしてくれる夢のような装置があるといい」と書いたが,「そういえば文字を読んでくれる機能があるんじゃないか?」と思い,ウェブで調べたら,OSX Lionから「Kyoko」というテキスト読み上げ機能が追加されたとある.これだー!と思って早速Kyokoさんをインストールし(デフォルトではKyokoさんが入っていない),さっそく試してみた.いちおう日本語を話してくれるが,イントネーションがひどい... 名鉄バスで確か一昨年から女性の人工音声で「毎度,名鉄バスをご利用いただき,ありがとうございます.このバスは...」と流れるようになったが,あれがすごくまともな発音に聞こえるほどだ.間違いも多い.世話人を「せわひと」と言う(笑).個人研究は「こひとけんきゅう」だ(爆).付加体を「ふかからだ」と言ってしまうKyokoさん,あなた漢字の読み書きをうちの樹と一緒に練習したほうがいいぞ! 明日の執行理事会でKyokoさんはうまく説明してくれるだろうか? 事の正否はKyokoさんにかかっている.
2013/03/07(木)
喉がやられた.昨日の午後から声がかすれ出し,夜になったらほとんど出なくなった.そして今朝,起床したらまったく出ない! 咽頭を鳴らさずに(声を出さずに)ヒソヒソ話のようにできるので会話は何とか可能だが,早く治さないと土曜の地質学会執行理事会で大切な説明をすることができない.タイミングが悪い.
我が家は,まず樹が先週胃腸風邪になり,輝と家内が普通の風邪をひき,私が風邪をひき,樹の胃腸風邪が治ったと思ったら今度はかわいそうにインフルエンザになった.輝と家内は治ったようだが,樹と私は蟄居,ではなく自宅静養.今日,私は昼に1時間だけ大学に行き(学生に米国巡検の資料を配布する約束になっていた),声が出ない状態で学生に説明し,すぐに帰宅.論文書きとメールは自宅でできる.
明日も自宅で仕事をし,夕方から少しだけ大学に行くつもり.土曜の資料を作成しなければならない.今回の会議では説明することが多くなりそう.声が出るといいのだが... 頭で思っていることを音声あるいは文字にしてくれる夢のような装置があるといい.
2013/03/04(月)
不覚にも風邪を引いてしまったようだ.いかん,気が緩んだか! 先週のあの会議がいけなかったような気がする.
ゼミ中,研究室の学生が「わたしに風邪移さないでよ.ちょっと,来るな! あっち行って!」というような顔をしていた.いちおう気を遣ってマスクをしていったのだが...
2013/03/01(金)
なかなか上手くいかないものである.余計なことは捨てて,研究に打ち込みたい.打ち込まなければならない.しかし,余計なこととわかりつつも捨てきれない自分.腹が立つ.弱い.
2013/02/26(火)
樹が胃腸風邪にかかり,クラスも学級閉鎖になったということで,今日は急きょ私が休み(振替)を取って家で仕事をすることに.
朝からガツガツ論文作業.昼にrevisionを済ませて再投稿,そしたら夕方にEICからアクセプトの連絡が届いた.早! EICすごいです.いやー,この論文は足掛け10年(!),途中で新データを少し取ったが,それにしても長かった...ちょっとだけ重しが取れたような感じ.ほんのちょっとだけだが...
紀伊半島関係では,神ノ木の話をできるだけ早く論文化したい.室生もやらなきゃいけない(10年以上経つ!).デッドワークにはしたくない.卒業生は在学時,頑張ってガツガツ研究してくれた.そのおかげで貴重なデータが山ほどあるが,みんな卒業して研究ではない道に進んでしまうため,公表作業はすべて私がしなければならない.このへんが院生やポスドクがいるリサーチユニバーシティとの大きな違いかな.計算では,4人くらいの私(?)が同時並行で公表作業を進めないと全部出し切れない...一体どうすんだ.
今書いている論文,あとはイントロと地質概説を残すのみ.やっちまいたいが,明日から東京...
2013/02/25(月)
昨夜の「八重の桜」は,容保公が孝明帝から密勅を賜る場面が山場だった.う〜泣けた.BGMがまたマッチしており,感動した.それにしても真木和泉,とんでもない悪役面である.三条実美,嫌いである.
山川大蔵のち山川 浩の「京�s守��E始末」が愛教大図書館に収蔵されていることが判明! これは嬉しいニュース.
今日は前期日程の業務だったが,なぜか研究室の暖房(集中管理のボイラー暖房)が運転されず,部屋がたいへん寒い.エアコンを入れているが,5階にある北向きの居室はすきま風がピューピューと音を鳴らして吹き込むような部屋なので,全然暖まらない.Macのアルミ躯体が冷たく,手がかじかんで仕事にならない.手袋をすればいいじゃん!と思って実行したが,トラックパッドが使えないことに気づく(当たり前だ).何と馬鹿なことを!
2013年2月23日(土)
ここのところ休日は樹と家で留守番をすることが多い.輝が硬式野球クラブの練習試合に行き,家内もそのお手伝いで行き,残った私と樹が家にいる.今日は家でパタパタと論文書き.結果を書き上げた.この論文はディスカッションがそんなに深くないため,気分的には半分くらい書き終えた.
昼は樹と一緒にマクドナルド.樹はバリューセットだが私は100円マックをたくさん買って癒し系,ではなく卑しい系(笑)の昼食.樹に体積やx, y, z(空間座標系)を教える.この小学2年は算数の飲み込みが早い.
夜は樹を空手に送り,そのついでに岡崎イオンのスタバで論文書き.ドリップをガバガバ飲んで,中毒気味で気持ち悪くなった.しかし頭は冴え冴えでディスカッションが進んだ.大学の居室よりも外出先のほうが仕事が進む.一日中スタバにいれば論文すぐに書き終えるかも.
明日は地学教室の同窓会のため名古屋.論文書きはお休み.あれ,明日何時からだ?
2013年2��22日(金)
私の故郷の会津若松に山本八重という女性がいた.歴史家や同志社関係者を除くと地元でもあまり知られていなかったが(私も実は最近まで知らなかった),今年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公として注目されるようになった.幕末の激動期,会津藩は京都守護職を拝命したために滅亡に至る道を歩んだ.戊辰会津戦争で八重はスペンサー銃を武器に篭城戦を耐えた.薩長賊の大軍に破れ,藩が消滅し,八重の人生も大きく転換した.兄の覚馬のいる京都に移り,京都府要職の兄を助け,また自身も学に目覚め,米国帰りでキリスト教の教えに基づく学校を設立したいという新島 襄と夫婦になり,新島の死後も茶道や従軍看護婦などで活躍した.
「八重の桜」では今のところ八重の活躍は少なく,どちらかと言えば覚馬や会津藩主松平容保公が主人公のような感じである.藩祖保科正之公が残した「御家訓」のために京都守護職を拝命せざるをえなかった容保公,それに会津藩士らの心情を思うと辛い.孝明帝の御宸翰(ごしんかん)を賜った容保公の正義は永遠である.会津の正義がますます世に理解されることを願う.
それにしても,容保公を演じる俳優さんは上手い.江戸藩邸で西郷頼母に「言うな」と言ったシーン,涙が出た.
2013年2月21日(木)
2年以上もzakkiをお休みしたが,気が変わって(笑)今日からまた好き勝手なことを書くことにした.今日が私の誕生日... というのはあまり関係なく,論文を書く時間が最近取れるようになったので調子が良く,論文書きの合間の休息のつもりで書くつもり.だから(以前もそうだったが)このzakkiはきわめて気まぐれ,不定期で,数週間いや数ヶ月も更新されないことがあると思う.楽しみにしている?読者には申し訳ない.
それにしても,研究者たる者,やはりデータを出しているときや考えているとき,論文を書いているときがやはり精神的に健康である.授業がないというのは,学生にとっても嬉しいだろうが(苦笑),私にとっても素晴らしい!
東海層群の古地磁気層序,最初は頼まれ仕事で始めたのだが,進めるうちにそれなりにおもしろくなり,思わぬ発見もあり,いよいよ論文にまとめる時機になった.いまそれを書いている.今月中にざっと書き上げてしまいたい.それが終わったら高遠のFT論文をやらなきゃ.
もっと書きたいことがたくさんあるが,論文書きに戻ろう.